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日本横断ジャーニーラン 500KM (太平洋〜日本海) 

「コース概要」
 本州最南端、和歌山県串本町潮岬灯台をスタートし、新宮から熊野川沿いに国道168号線を西に走る。 野猿と日本一の吊り橋で有名な奈良県十津川を通り、五条市から橿原市に至る。 24号線を北上し、京田辺市に入り 木津川と桂川サイクリングロードを走る。嵐山手前で向日市に入り国道9号線を西に向い、芋峠を越え亀山市に至る。27号線に入り、綾部市を通過し、北に向かうと日本海舞鶴湾に突き当たる。                         
そこから海岸沿いに178線を走り、丹後半島を横切り網野町に入る。日本海を左手に見ながら走るといよいよゴールは近い。最後は、京都最北端の丹後半島先端の山道を登り、経ケ岬灯台にゴールイン。


「行程及び距離」
1ステージ(12/28)潮岬灯台7時45分スタート〜串本町〜太地町13時11分〜熊野川町19時30分ゴール
   ↓ 73.4km  
◆2ステージ(12/29)熊野川町6時〜十津川温泉11時43分〜谷瀬の吊り橋18時40分ゴール
   ↓ 72.5km
◆3ステージ(12/30)谷瀬の吊り橋7時20分〜大塔村〜五条市14時35分〜橿原市長寿村18時45分
   ↓ 71.1km   ゴール。
◆4ステージ(12/31)橿原市5時15分〜大和郡山市〜奈良市〜山城大橋12時57分〜木津川、桂川
   ↓ 87.2km   (サイクリングロード)〜向日市〜芋峠交差点19時50分ゴール。
◆5ステージ(1/1) 芋峠交差点7時〜亀岡市10時20分〜観音峠14時21分〜丹波町〜綾部市21時 
   ↓ 75.2km   ゴール。
◆6ステージ(1/2) 綾部市6時17分〜西舞鶴市9時53分〜宮津市〜15時23分〜峯山町19時45分 
   ↓ 75.0km   ゴール。
◆7ステージ(1/3) 峯山町6時55分〜網野町〜此代11時35分〜尾和12時37分〜経ケ岬駐車場〜
      37.5km  灯台13時37分無事ゴールイン            

     ★ランナー  関根孝二、宮本武(視覚障害者)、阪本真理子   サポート日比康博さん

「走り旅完走報告」
1998年12月
年末年始にかけて、突然の呼びかけで集まった暇(?)な4名で本州を横断するジャーニーランを楽しんでき
ま した。 最終日の1月3日、 早朝から降りしきる雨にもめげずランナー3人共、脚は快調に動いている。ここ
まで450キロ以上走って来たとは思えない足取りで、いよいよ残り僅かとなった経ケ岬灯台のゴール目指し
てゆっくり走り出す。 6日間私達ランナー3人の名サポーターとして、一人でフル活躍の日比康博さんの激励
が飛ぶ。もう一人は昨日から友情応援に駆けつけて来てくれた舞鶴の「レンガの街マラニック100km」主催
者の芦田敬二さんも寒い中、エイドを出して待ってくれている。日本海の冬の寒々とした風景を横目で眺めな
がら、昨夜泊まった網野町の民宿「普通の家」のご主人の言葉を思い出す。 「あなた達、暑い時か寒い時し
か来ないのね!」。
   
 私は、昨年の夏に、大阪府立長吉高校の先生と生徒達で実施の『日本横断リレーマラソン』にボランティア
として参加し、この民宿にお世話になっていたからである。 今回は年末年始なので宿を見つけるのも大変
で一度知ったるここの宿にすがりつき、何とか泊めてもらう事になった。「ラッキー!」。
夜遅く、雨で疲れきった姿のランナー3人とサポーター2人をご主人は歓迎してくれ、夕食にカニすきと舟盛り
のお造りの大サービス(これは一泊二食付2万円コースとか!?)。私達は貧乏旅行と言ってたった七千円
ぽっきり払ったのみだった。私達の疲れた心にご主人の優しい心遣いが嬉しく、みんなほろりとさせられた。 
 走り旅はいよいよお昼近くになり、25キロ過ぎの海岸沿いの道に入る。荒波が押し寄せ風も強くなってき
た。ランナー3人に揺さぶりをかける憎いお天気だが、それにも負けず快調な走りが続く。(昨夜のご馳走が
きいているのか!?)。 富山県在住の視覚障害者の宮本さん60才をエスコート(伴走)しながら共にここま
で走って来た『日本縦断3000キロ走り旅』の著者関根孝二さんは、すっかり宮本さんをジャーニーランナー
に仕立てしまったようだ。宮本さんは今まで100キロマラソンを2回ほど完走した経験をもつランナーである。
ジャーニーランは今回が初めての経験であるが、良く食べ良く寝るウルトラ体質のようだ。初めの二日ほどは
飛ぶように走っていたが、この6日間ですっかりウルトラ走法を習得。関根さんと走りながらも終始楽しい会話
が弾んでいる様子である。「もう少しでこの旅も終わりだね、寂しいな〜!」と三人異口同音。宮本さんは、
毎日ゴールする旅に「騙されながらも今日も良くここまで走ってこれた!」と感激しながら呟いていたが、とう
とうここまで来てしまったではないか。「脚の故障さえなければ、500キロは走れる」とずっと言ってきた関根
さんの言葉どうりになってきた。

 やがて、楽しめる距離はわずかとなり前方に最後の坂が見えた。上りになると強い関根、宮本コンビが、
ペースメーカーとして先行する私の足元をつつく。三人でリズムに合わせ声をかけ最後の力走となり「もうわ
ずかだ!」と心の中で呟く。 昨年の夏、この地点を先生と生徒達の大集団で声をかけあって上った想いと
ダブらせながら少し興奮気味になっていた。サポーターがゴールテープの準備をしてくれている中、経ケ岬
の駐車場に予定の時刻より早く到着(ロードはここで終点)。ここからは山道を登って灯台を目指すが、宮本
さんには大変な道だ。サポーターの日比さんにゴールの撮影をお願いする為、4人で行く。石の階段が多く転
びそうになる宮本さんを支え、一歩一歩前進。わずか400メーターの道を20分かかった。 目前に京都府最
北端、経ケ岬の白い灯台が寒い冬空に悠々と建っていた。 関根さんと私で宮本さんの両手を持ち上げて、
13時37分無事ゴールイン「やった!!」。 宮本さんが関根さんに抱きつき感無量。 私も貰い泣きを堪え
ながら、突然この走り旅を実行し、事故もなく無事ゴールできた喜びを噛み締めていた。宮本さんにも白い
灯台の壁を手で触れさせゴールの感動を味わってもらう。その後ろ姿に宮本さんの精神力の強さを感じた。
視覚障害者が約500キロを走り切ったのはおそらく初めてではないだろうか!?。そして、7日間も一人で
伴走を受け持ってくれた関根さんの走りと度胸。いつも美味しいものを準備し、エイドを楽しませてくれた日比
さんの3人に感謝しながら登ってきた山道をまたゆっくり下りる。駐車場に戻ると芦田さんが差し入れの祝い
酒と魚の干し物やおもちを焼いて待っていてくれた。5人でさっそく「乾杯!!」し、完走を祝った。7日間の
『日本横断ジャーニーラン』が無事終了した。 みんなほろ酔い加減の実にいい顔になっていた。
 今回、4人の心が一つになって得た素晴らしい旅だったと痛感した。それぞれに大きな価値観を見出せた
事と思う。私は昨年夏のたすきを繋いだ「リレーマラソン」と今回の「走り旅」と趣旨の違った二つの魅力を味
わう事ができ、この上ない贅沢をしたようだ。 この旅が終わった直後に日本海側に大雪が降った。
「本当にラッキ!!」な旅であったとも言えよう。

1999.3.20      阪本真理子報告

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