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東海道五十三次遠足・第1回東海道往復ジャーニー駅伝完走記

2001.1.14 塩原 正

12/17 三田マスターズハーフ後、サンダーバードさんの忘年会に出席し、良い気分で帰宅。そこへ此枝さんから「東海道ジャーニー駅伝のメンバーが一人足らないけど出ない?」との電話に「いいすよー!」と何も考えずに承諾。
電話を切った後、妻に「と、言うことで行っても良いかなぁー」と聞くと何の抵抗も無くOKサイン。
なんか拍子抜けした感じ。どうも我が家では空気みたいな存在のようである。

2日前から喉風邪となり、前日はランニング仲間の忘年会に出てその夜、夜行バスで東京に向かう。東京に着いたときには喉がまっかっかで物を食べると痛い。家から持ってきたイソジンのうがい薬をそのまま患部に数滴たらす。
風邪のせいか、お腹も壊しトイレに行く回数が増える。頭もおもい。恐らくこの風邪が治るのはこの駅伝が終わるころではないかと思う。幸いまだかるいが、この走り旅(ジャーニーラン)でどうなることやら!

今回の東海道五十三次遠足は、10回目と世紀越えと言うことで6人/1チームの駅伝となった。出場チームは3チーム。東海道の達人チーム、東海道の旅人チーム、そして私が参加するインディペンデンスチームである。
往路は、1ステージで12/28 21:00 日本橋 元標の広場スタート、12/31 2:57(予定)京都三条大橋西詰ゴール。
 復路は、4ステージでそれぞれ12/31 9:00 京都 三条大橋西詰− 桑名宿・七里の渡し
          1/ 1 7:00 桑名宿・七里の渡し− 浜松宿・連尺町交差点
          1/ 2 7:00 浜松宿・連尺町交差点− 三島宿・三島大社
          1/ 3 7:00 三島宿・三島大社−日本橋 元標の広場
である。
チーム内は、監督1名、後A~E(私はD担当)の5名は東海道の各宿場を中継点として順番にタスキリレーして行く。勿論監督も他のメンバーよりも少ないが走る。
移動は公共交通機関。但し、交通機関のない夜間はサポートカーを準備してくれるとのこと。

〈集合そしてスタート〉
 21:00 スタートの為、20:20ごろ日本橋・元標の広場へ行く。もうすでに何人ものランナーが来ており、待つ間もなく全員集合した。名前だけではわからなかったが、顔を見ると知っている人が結構いる。
挨拶、写真などを撮ってもらっているうちにスタート時間がきた。
我がインディペンデンスのトップ(A走者)は、期せずして私と同じ会社に勤めていた下島さん。会社内ではランニングの仏様のような存在で同じチームで光栄である。
 スタートを見送り、中継点まで電車で移動する予定であるが、まだ時間が早いので八重樫さんと品川まで走ることにする。 (八重樫さんは'99,'00共、スパルタを完走し、ネイチャーの常連である。)

第1回目のタスキは、ほぼ定刻 (6分/km) 通りにタスキをもらう。3チーム一緒である。
この区間は2区間分(藤沢-平塚-大磯)で18.4km、分り易い道だったので予定より少し早めにタスキを渡す。 本来、この後サウナで休憩することになっていたが、後1時間半ほどで始発電車があるので八重樫さんとそのまま走り、結局小田原まで走ってしまった。

〈ペース走&コースアウト〉
次のタスキは、原宿-吉原宿の11.2km。情報では、箱根の下りで達人チームの長谷川さんがスパートし、3チームがばらけているとのこと。タスキを受けたとき達人チームに19分、旅人チームに13分差をつけられてのスタート。ペース走のつもりで4分/kmで走る。
予想では、旅人チームに追いつくはずが、次の中継ポイントまでとうとう誰にも追いつけなかった。ところが、達人チームとの差は、3分に縮まり、旅人チームはまだ到着していないとのこと、どうやらコースアウトしたらしい。結局9分遅れて旅人チームが到着した。

この駅伝は、地図とのにらめっこがあり、油断をするととんでもないことになる。そのとんでもないことを自分がしてしまうことになる。
3回目のタスキは、約4時間後。江尻宿-府中宿10.2kmここも数カ所わかりにくいところがある。順位が目まぐるしく変わり、今回トップでタスキを受ける。途中3回ほどコースアウトがあり3分ほどロスがあったが、最後は、中継ポイント手前静岡市内の交通量の多い交差点で地下道に入ったのが失敗で地下道から出てあさっての方向に走っていってしまった。1km走ってから気が付くと言うドンクサさ。自分ではもう少し方向感覚があると思っていたのでちょっとショックであった。しかしこれが現実なのである。自分の感と言うものがいかにいい加減なものかがわかる。 タイムロスしても地図をしっかり見る必要がある。

〈繰上げスタート〉
 往路の中盤を過ぎるころになると疲れも出てきて、その後もコースアウトが続出する。夜に入ると更に多くなり、全体のタイムも遅れ勝ちになり、トップと最後尾の差が1時間ほどに開いた為、夜は3チーム一緒に走ることになった。我がインディペンデンスが金谷宿の石畳茶屋に到着後、他のチームも一緒に繰上げスタートしていった。手作り大会で繰上げスタートなど考えもしなかったが致し方なく、また、臨機応変に出きるところも手作りの良さである。

〈喉痛&腹痛〉
 仮眠もせずに1昼夜 空気の悪いところを走り回っている為、喉の痛みと風邪による腹痛でトイレに行く回数が増える。汚い話であるが、もともと痔ぬしで1回手術をしたが、完全に完治しておらず、トイレのたびに出血して気持ちが悪い。貧血になりそうである。29日は、タスキを5回ほどつなぎ、浜松の健康ランドで仮眠をとることになった。
 3時間ほど寝れる。これで少しは快方に向かうだろう。

〈中継ポイント〉
 3時間ほど寝て健康ランドを後にし浜松駅に向かう。始発電車に乗込み、次の中継ポイント(藤川宿)へ移動する。豊橋でJRから名鉄に乗換えたが、12/30はすでに日曜ダイヤになっており、特急しかないことに気付き、大慌て!
 幸い途中停車の特急であったため、各駅電車に乗換え、藤川の駅からは500m猛ダッシュ!何とか走者の1分前に着き事無きを得た。
 無事3人でスタートしたが、次の岡崎宿では達人チームのEの走者が時間になっても来ておらず、事務局の田中さんが携帯に電話して、居場所をつかみタクシーで来るよう指示を出す。結局、10分ほど遅れて達人チームのE走者がスタートした。携帯電話が無かったら、もっとヤキモキしていたことだろう。こういう大会は、携帯は必需品である。

〈大激論〉
 往路も後半、しかも夜中となるとみんな思考力も鈍ってくる。Dのメンバーが走る往路最後の区間(坂之下宿-土山宿8.0km)。タスキは坂之下宿の片山神社で受けるのであるが、タスキを渡した走者が最寄の駅まで移動している間に電車が無くなる為、サポートカーをボランティアで出していただいた。ところがその車を止める場所がなく国道1号線の鈴鹿峠を行ったり来たり。そのうち、あっちだこっちだと議論が始まり、当然私も加わり、ランニングより燃えてしまう有様。結局のところ同じところに車を止めれば良いと言っていたのである。
 誠に大人気ない! 八重樫さん失礼しました。

 落ち着いたところで走者の状況を携帯で確認する。情報によるとひとつ前の区間、B走者が定刻の10分オーバーになっても中継ポイントに現れず、行方がわからないとのこと。そうなると我々Dのメンバーも最終電車に間に合わない可能性が出てくる。
 相談の結果、C走者には申し訳ないが、D走者も繰上げスタートすることにし、事務局の田中さんに申し入れして了解を得た。それでも京都三条のホテルについたのが0時近かった。
 因みに三条大橋に着いた最後の走者(監督)は、12/31の5:02であった。

〈復路〉
 復路は4ステージに分けての駅伝。ステージごと目一杯走っても夜休めるので問題無し。
 復路は行くぞーっと思っていたら、1ステージ目の最初の区間(石部宿-水口宿)13.1kmで2度もおもいっきり道を間違え、出鼻をくじかれてしまった。やはり、追う気持ち/逃げる気持ちになると地図もろくに見ずにかえってロスをするものである。わかっていても同じ事を繰り返してしまう。じっくり地図を見る習慣を着けなければいけない。

〈東海道の達人たち〉
 復路は距離が短い為、二人で走る区間がいくつかある。
 我がチームのC走者は岩田さん〈若いが地図をつぶさに見てコースを殆ど間違えないランナーである。)、E走者は武石さん(安定したフォームと旧道を見抜くこの道のベテラン)。
 何度となく走り、゛見通し"、゛固定物(橋、線路等)を目印にする”、゛町中の道なりのカーブは旧道(街道)を示す"、゛地図と地図の繋ぎ目に注意"等、いろいろ教わった。しかし、岩田さんが橋を渡るとき橋の名前まで確認したのには驚かされた。他のチームの半分以上がこう言ったベテランである。
 
 また、第3ステージの1回目のタスキリレー(掛川宿-日坂宿)を終え金山宿への移動で、思いのほか時間をくい、昼食もそこそこに電車に乗込み、西焼津駅からタクシーに乗り、ぎりぎり次の中継ポイントに間に合ったのであるが、駅で私が何も考えずに目的地側のロータリーに走り降り丁度1台いたタクシーに乗込んだのに対し、此枝さんは駅の状況を見てタクシーの多い反対側のロータリーに向かった。なかなか来ないのでタクシーの中でヤキモキしていたが、後で考えてみると目的地側のロータリーにタクシーがいなかったら、反対側のロータリーまで走って行くことになり、此枝さんの冷静さ、状況判断の良さに敬服した。今回参加して大変勉強になった。

〈金欠病〉
 今回の駅伝では、食事/移動費用/宿泊代と結構お金がかかる。最初から間に合うだけのお金を用意して無くしたりすると困るので、いつでもおろせるよう銀行のカードを持ってきた。
 ところが、正月3が日は休みと言うことをすっかり忘れており、気がついたのが12/31の夜7時過ぎ、万事休すである。どうするか思案していると「救う神あり」で此枝さんが、貸して下さるとのこと。有りがたく甘えることにした。

〈大歓迎〉
 往路は、移動で忙しく声をかけられなかったが、復路の第2ステージは名古屋を11時ごろ通る。昔単身赴任で名古屋にいた時お世話になった天白川走友会の縄張りである。ここを素通りする訳には行かない。この区間は、丁度下島さんの走る区間だったので一緒に走ることにした。
 旧東海道が天白川を渡る橋の上で天白川走友会のメンバーが応援に駆けつけているとのこと。橋の1km手前からスポーツドリンクの差入れやら自転車でのお出迎えをしてくれ、橋の上では、寒風の中大勢の応援があり、お汁粉に酒、あんまんなどなど,沢山のおもてなしをしていただき、すっかりハイになってしまった。また、次の中継ポイントまで自転車で伴走してくれたこともあり、下島さんが「塩原の為にいいとこ見せなければ」と大爆走! 最後は、頑張りすぎて中継ポイントで倒れこむ一幕もあった。
 下島さん、天白川走友会の皆さん、有難う御座いました。

〈不整脈&行方不明〉
 元旦から盛大な応援で風邪もどこかに飛んでいったようで今年はなんか良いことがありそうな気がしてきた。
 と思ったのは束の間であった。第2ステージの最後のタスキ(二川宿-白須賀宿)7.9kmでトップでタスキを受けたが、走り出しからどうも調子がおかしい。昼間と打って変わって、体が重く息が上がる。
 コースの注意ポイントは事前に此枝さんから教えてもらっていたので間違えなかったが、しばらく出ていなかった不整脈と思い始めたのは残り1kmぐらい手前ごろだった。
 しかし、そのまま走り続けた為、中継ポイントでは完全に動悸が激しくなっている。第2ステージ最後の走者のゴールが遅くなる為、次の走者はすでに繰上げスタートしている。
 中継ポイントからの移動は、5km先の駅から電車となるが、「先に中継ポイントについたものが駅まで走り、タクシーで戻ってくる」と言う約束をしていた為、走るろうとしたがとても走れず、国道沿いにあったサークルKに飛び込みタクシー会社の電話番号を聞きサークルKに来てもらった.。タクシーを待つ間、立っていられなくなりしゃがみ込んでいると店の人が「大丈夫ですか」と心配してくる。人の温かみに触れ嬉しく思った。
 タクシーがきてもまだ治まってなかったが、タクシーに乗込み此枝さんを迎えに行く。途中、国道で此枝さんをひろい、旅人チームの大浦さんの所在を聞くと達人チームの前にタスキをもらっているとのこと。旧道をそのまま走ってすれ違ったのかと思い一旦中継ポイントまで行き、旧道で駅まで戻ったがいなかった。駅について不整脈も治まってきた。
 事務局に問い合わせると中継ポイント到着の電話が1度あったが、その後はないとのこと。駅に向かって歩いている可能性があるのでもう1度タクシーで新道/旧道を往復してもらったがやはりいなかった。携帯を持っていればすぐに居場所がわかるのだがと思う。仕方なく浜松のホテルに行ったが、ここにも帰っていなかった。
 結局1時間後に帰ってきて、どこに行っていたのか確認すると電話をかけるために走ったコースを逆戻りしていたとのこと。 出会うはずも無かった訳である。今後は、連絡がつかないときは、それぞれで移動することにした。

〈ラストラン〉
 第4ステージ。いよいよ最終日、今日で終わってしまう。風邪も快方に向かい、不整脈も今のところ大丈夫そう。 今日で終わるのが何か勿体無いような気がする。
 最後の区間はチーム全員で走るが、その2つ前の区間(神奈川宿-川崎宿11.4km)も走るため、移動が面倒なのでそのまま走ることにする。(神奈川宿-川崎宿-品川宿-日本橋30.1km)
 ここまでくると競争心も薄れ出来るだけ他のチームと一緒に走ることにする。最後の区間になると達人チームと一緒で総勢12人となる。この人数で正月3日の銀座の町を走ったのである。行き交う人の驚く姿が見物であった。
 日本橋 元標手前で達人チームのメンバーが一人遅れており、全員揃ってゴールするとのことで、我がインディペンデンスが先にゴールすることになり、全員で手を繋ぎ最高のゴール!

 ゴールには、同じ会社の夫婦でトライアスリートの行成さん夫婦が缶ビールの差入れを持って駆けつけてくれており、ゴール後の打ち上げも来てくれた。呑みはじめて間もなく、旅人チームも合流し成功裏に終わった。

 事務局の田中義巳さんをはじめ、サポート頂いた方々、そして出場した皆さん、楽しい7日間有難う御座いました。今後とも宜しくお願い致します。

 因みに1/7(日)の新春マラソン(ハーフ)では、東海道駅伝の疲れからか1時間21分しかでず、別大までの調整が大変である。やはり、マラソンシーズンのウルトラは避けるべきかもしれないと思う。

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