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----------------------------------------- ■ 『太陽の道』への申込み ■ 長崎 由里子

----------------------------------------------------------- 『太陽の道』の案内、何度、読み返したことでしょう。 『さくら道の2週間前か〜。2週間で、回復するかなぁ?、でも時速5キロで 行ければ、1時間のお釣りが出て、ゴールできるぞっ。よしっ、時速5キロ 作戦やっ! 山岳部55キロぐらいって書いてあるから、六甲縦走して、 それから140キロ走るようなもんや、と思えばいいよね?』と言いつつ、 思い切って申し込んでしまった。申し込んだら、すぐに立派な地図やら 参加者名簿、それに関根さんと坂本さんが2000年になるときに 走られた時の完走記が同封された封筒が送られてきた。 完走記を読んで『不思議なコースなんやね。楽しみだなぁ』という気持ちと 地図を見て、『難所続きみたいだなぁ、、地図も結構、難しい。 まっすぐ東へ向かって、一直線に走るだけじゃないのか?』という不安が 入り乱れていた。 参加者名簿をみる。知らない人ばかり、、、。でも、名前だけ見てると どの人も強そうな人に見えてくる。マッちゃんに、『きっとWanda達が 一番、駄目子ちゃんね。みんなすごそうな人ばかりだもの。』 と言いながら、さらに名簿を眺めて、『あっ、シュー(平松 修さん)だ! それに、この中平さんって、あのお噂にきく中平さんよね? あっ、それに、ほらっ、この裏野さんってあの裏野やんね。ほらっ、 去年のワイン城24時間の、、、、住所も西宮やから間違いないで。 それに見てっ。ひびさんがサポートや。あかんようになったら ひびさんにビール一杯でレスキューにきてもらおうっ。』 わずかだけど、知っている名前を見つけて、マッちゃんとにっこり。 知っている名前を見つけたからといって、私たちが一番、駄目子ちゃんで あろうことに何ら変わりはないのだけど、不安が少しだけ薄れたような 気がした。 集合時間は、4月12日の午後10時半。浜寺公園駅。色々、悩んだ挙げ句、 仕事を終えてから、家に戻らず、直行することにする。

----------------------------------------------------------- ■ 集合場所まで ■ ----------------------------------------------------------- 4月12日の午後5時半過ぎ。『会社近くの銭湯でさっぱりしてから、大好きな卵丼でも食べて、ゆっくり集合場所へ向かうおうか、、』と考えていたら、 携帯電話が鳴った。誰っ? 相棒のマッちゃんからだった。『今、店に、中村さんとふじもっちゃんとくー(*1, いずれもネットで知り 合ったラン仲間)さんが来てくれてるよ〜。今から、ご飯食べに行くけど〜。 Wandaちゃんは???』 『6時ぐらいには、会社出れるんちゃうか、って思ってるけど〜。今、6時退社を目指して、鋭意努力中。う〜ん、 会社出たら、とりあえず、そっちに向かうわ〜』 と言って電話を切る。この日は朝一番から『今日は速攻で退社します』光線を、言葉と身体で課内にばらまき(発射)し続けていて、6時過ぎに会社を出る。 心斎橋へ向かい、マッちゃん達一行に合流。中村さん、ふじもっちゃん、くーさんは、別に申し合わせたわけじゃなく、3人ともバラバラに偶然 マッちゃんの店にきてくれたらしい。ほんとうにそんな偶然があるのか〜?と思いつつも、3人に会えたこと、すごく嬉しい。本当に偶然、やってきた らしいが、きっと、3人とも太陽の道、励ましにきてくれたんだよね。ありがとう〜。 中村さんは、四国高松在住のUMMLer。ちょっと人相が悪そうにも見えるが、とっても優しい人で、私たち二人の命の恩人。命の恩人と書くと大袈裟すぎるかもしれないが、真夏の淡路島一周練習中に、マッちゃんが熱中症で 動けなくなって困ってた時、四国から真夜中に車を飛ばしてレスキューにきてくれた人。その前の年も、淡路一周の時に、子供の付き合いや、、と さりげなくいいつつも、私たちの大好きな『馬路村、ごっくんユズジュース』をいっぱいもって、応援に駆けつけてくれた。 ふじもっちゃんは、お台場の24時間やアーン少佐の道で一緒させてもらった格好いいランナー。昔は、同じくらいのレベルだったと思うのだけど、今や 向かうところ、敵なし。24時間で200キロ越えの超大物ランナーで雲の上の存在。今回は、琵琶湖一周へ参加するために福山から大阪入り。 マッちゃんところに上陸してくれたみたい。くーさんは、心優しいランナー。元々は、Niftyの会議室で知り合った。 自ら走ることも好きみたいだけど、人の応援に誰よりも熱心。金欠だ〜と言いながら、うどんを食べに四国まで行ったり、応援だけよ〜と 言いながら本当は、翌年のための下見を兼ねているのは、見え見えなんだけど、さくら道の応援にまでわざわざきてくれたり、関西周遊の応援も 手伝ってくれたり、、、。優しくて強いランナー。ふじもっちゃんの大好きなラーメン店、かもくら、、へ行こうということに なったが、かもくらの席って、なんか、みんながカウンターに並んで座って、、って感じでいまいち。 『かもくらは、次回、絶対行くから、、、』とふじもっちゃんに納得してもらって、別のラーメン店、亀王に向かう。Wandaは個人的には、 かもくらより亀王のほうが好きだった。醤油系統のラーメンが多いし、ラーメン以外のメニュー(から揚げとかチャーシューなど)もある。 店内の席だって、5〜6人が座れるテーブル席だってある。ここで、出張帰りのお気楽モードの中村さんは、ビールとチャーシューを 注文。うらやましい!っと思いつつ、ビールは我慢して、ラーメンを注文。これで、カーボローディングだけは、ばっちり。 8時半頃にラーメン屋を出たように思う。このまま、集合場所へ向かうとちょっと早すぎる気もするけど、直前にいって、時間がなくてバタバタするよりいいかと思い、ゆっくり難波へ向かうことにする。アメリカ村から難波なんて、わずかな距離。通常なら、ばか高い地下鉄は避けて歩くところだけど、 この日ばかりは、『今から190キロも走るんだから、省エネモードね。』と地下鉄に乗り込む。

----------------------------------------------------------- ■ 集合場所にて ■ ----------------------------------------------------------- 午後10時少し前に集合場所の浜寺公園駅に到着。集合時間には、まだ少し間があるようなので、駅のホームの待合い室で 着替えをすることにした。着替えていると、次の電車が到着。『太陽の道』に参加するらしき ランナーが一人、降りてきた。待合室から思い切って手を振ってみると待合室に入ってこられた。髪の短いキュートな女性の方で、名前を きいてみて、京都の小寺さんということがわかった。着替えながらおしゃべりをすると、とてもハキハキされていて、ウルトラ慣れして強そうな方。でも、膝が痛いらしい。『先週もリタイアしたんですっ』という言葉に 少し、ホッとする。そうよね、太陽の道だって、駄目なら、リタイアすればいいのだ。 浜寺公園駅って、泉州マラソンできたことはあるけど、平日の夜に来るのは初めて。思ったより、ひっそりと寂しい駅だ。 集合場所、どっちの出口なんだろう? と、最初、逆の出口をみてみたけど、誰もいそうにない。『私、反対側、ちょっとみてきます!』とマッちゃんと小寺さんに言い残し、反対側へいってみると、 一人ランナーらしき人がいる。『こっち側みたいですよ〜』と小寺さんとマッちゃんを呼び寄せる。 改札を出て、先客(あとで、わかったことだけど、この人が山田さんでした)に挨拶をする。そのあと、すぐ、阪本さんと関根さん、ひびさんが到着。 いっきに賑やかさを増す。時刻は、午後10時15分か20分ぐらいになっていただろうか。 スタートは11時だから、まだ30分以上もある。着替えも済ませてあり走る前に、上のウィンドブレーカーと下のジャージを脱ぐだけだ。 走らないでじっとしていると、ちょっと肌寒いから、直前まで脱ぐものか、、と思った。 阪本さんと関根さんが、名簿を見て出欠を確認しながら、参加賞を渡し始めていた。参加賞は、とても心地よさそうな長袖のランシャツ。 デザインもシンプルで、でも、真ん中に燃えるような太陽が『太陽の道』っていうのを表していて、すごくいい。それと、関西周遊に出るランナーが つけているような丸い名前入りのバッジ。まるで、ウルトラランナーになった気分。めちゃくちゃ嬉しい。 1週間前に会社で引っ越しがあり、引っ越しといっても同じビル内で34階から30階に降りただけなのだけど、その引っ越しの準備のときに 重いカートンを幾つも持ったせいか、無理な姿勢で、カートン詰めを行ったせいか、腰が痛くて痛くてたまらず、歩くのも辛い状態だったから、 『太陽の道』も走れるんかいな? って具合で、気分がブルーだったけど、この参加賞のお陰で、ブルーな気分は、いっきに吹っ飛んだ。 そうこうするうちにも、少しずつ、参加者がやってきていて、周りをみると、結構、参加者がそろっている。みんなウルトラ慣れして そうで、余裕の表情って感じ。やっぱり、余裕がない若葉ちゃんは私たち二人だけみたい、、、。そこへ、裏野さん登場。まるでサラリーマンのような格好で登場。知っている人の登場で、心が和む。 そろそろ、私たちも走る格好にならなきゃ、、と思い、ジャージを脱いで預ける荷物に詰め、一応、ちょっとだけストレッチしてみる。 10時45分か50分頃、関根さんと阪本さんがみんなに丸く集まるようにいって、ちょっとした説明があった。最初は、阪本さんが道案内を兼ねて 一緒に走ってくださるという。あと、スタートは、快速ランナーと鈍行ランナーの二組に分けて、鈍行ランナーが23時スタート、快速隊は 30分ずらして23時半のスタートにすると説明があった。快足隊は、地元民でこのあたりの地理に明るく去年も参加しているという山田さん、 (これっ、ほんまなんやろか、、と後で疑いたくなるぐらい山田さんは道を何度も間違えるのだった) それから、裏野さん、そして、もう一人、谷川さん。裏野さんのことは知っていたが、この時、谷川さんのことは全く知らなかった。あとで、 めちゃくちゃ、お世話になることになろうとは、考えも及ばなかった。説明が終わり、駅前(改札前)から、スタート地点へ50メートルほど、 移動。この時、大慌てで、小さなペットボトル入りの水を購入する。

----------------------------------------------------------- ■ スタートから箸墓まで ■ ----------------------------------------------------------- @ スタートから出雲大社大阪分?まで(9キロ) 午後11時2分、先発隊(鈍足隊)スタート。阪本さんが先導してくれる上、 ペースもゆっくりなので、ついていけそう。若干、腰が痛いが、こんなところで このペースでついていけないようでは、えらいこっちゃ、、とみんなについて いく。北緯34度32分上に点在する遺跡を巡る、、という割には、右に 曲がったり、左に曲がったり、、、えらい曲がる回数が多いような気がする。 みんなちゃんと地図をみているようだけど、2〜3回曲がった時点で、もう 私には地図を見る余裕がなかったが、このままみんなについていけば 当分はだいじょうぶだろう、、と地図を見るのは諦める。 しばらくシューさんにGPSのことを教えてもらいながら、走る。 GPSがあれば、かなり正確に道を間違うことなくいけるらしい。 道を間違えないどころか、その時点、時点での時速なども割り出す ことができるようで、かなりの優れ物みたい。シューさんがGPSを 頼りに、あちらこちらを走っている、、ときいてはいたが、噂のGPSを 見せてもらい、感動するとともに、『よし、シューさん、いやGPSについて いく限り、道に迷わず、地図もさほど、みなくてだいじょうぶか、、』と 甘く、ずるい考えを起こす。 9キロの地点(出雲大社大阪分?)で第一回目の休憩。 少し休んでいると、はやくも後発隊(山田さん、谷川さん、裏野さん)が 到着する。こんなに早くに追いつかれるとは、、、、。 『ちょっと速すぎますよ〜。もっとゆっくりきてくれなきゃ、、』 と快速隊に言いながら、水分 & 少しの栄養補給。 A 出雲大社〜近鉄喜志駅前まで。(9キロ) 余りゆっくりするのがイヤなので、シューさんとともに 走り出す。1キロほど行くと、南海高野線を横切る。南海高野線を横切り 道なりにまっすぐいき続けると、ちょっと後ろから『こっちだよ〜』と 呼び戻される。どうやら、右に曲がるのを忘れて通り過ごしたらしい。 GPSくん、なんで間違うの? と思いきや、ここは、萩原天神へちょっと 寄り道せなあかんことになっていたのだった。曲がり損ねて真っ直ぐ 進んでも、正しいルートに合流できることにはなっていたのだが、 やっぱり、ちゃんと太陽の道を通らないとね、、。 シューさんはそこまで細かい道をGPSに登録してなかったようで、 GPSを頼りにしすぎることにちょっと不安を感じたみたい。 マッちゃんが、『どこにいるかわかってるか? あんたわかってへん のやろ? 今、ここやで。 次は船戸北っていう交差点で、ちょっと、こっちにいくんやで、、』と 声をかけてくれた。 船戸北の交差点はクリア。少し行くと、緩い坂道ではあるけれども、 わりと長い登りにさしかかる。ちょっとの登りかと思いきや、これが えらい長い登りである。この登りにさしかかったあたりで、快速隊が 再び追いついてきて、さらに、あっという間に、鈍足隊集団を追い越し ぐんぐんといってしまう。この快速隊に刺激されたのか、鈍足隊の メンバーもペースアップ。かなり、速い。ギアチェンジが遅れて、少し みんなから遅れてしまう。かろうじて、前の人のリュックにつけられた 点滅灯(反射灯)が、見える程度になってしまったが、 とりあえず、見失わないように必死で走る。私のすぐ後ろに 中平さんがいてくれたので、まだ、少し安心してたが、ついに中平さんにも 抜かれてしまい、最後尾になる。えらいこっちゃ。絶対、見失わないように ついていかな、、、。かなりのぼったところで、ようやく下り。 PL教団の近くらしいが、どこにいるのかさっぱりわからない。 とりあえず、緩やかな下りになったので、少し安心するとともに、 下りを利用して、前の集団との距離を詰めるようにした。 かなり下っただろうか。下りきったところで、道を間違えていることに 気づく。地図でも拡大図があるところなのだが、平尾の交差点で 道を間違えてしまったようで、正しいルートより、かなり南にきている らしい。かなり南にきているにも関わらず、阪本さんに率いられた 数人は、国道170号線を南下。さらに、南へいってしまったようだ。 ここで残ったメンバー(シューさん、マッちゃん、それから、他に3名 ぐらいいたかな?、そして、私)は、軌道修正せなあかんという結論に 達する。軌道修正は、間違えた地点まで戻るのではなく、170号線を 北上することにした。2〜3キロほど、北上すれば、喜志駅に出られるはずだ。 この間違えがわかった時点での私の顔は、かなり悲愴感が漂って いたらしい。そりゃ、そうだ。だって、みんなについていけば安心だと 必死についてきて、結果がこれだもの。悲愴感も漂うに決まっている。 170号線を北上していると、関根さんがお迎えにきてくれた。 余りにもみんながこないので、心配して様子をみにきてくれたみたい。 『あれっ? 他の人は?』 『間違えているのに、さらにあっちにいっちゃいましたよ。あっちから いって軌道修正するつもりみたいです。』 『そんなん、あっちいってもたら、戻ってくる以外に他はない、、と 思うけどなぁ』 『そうなんですか? じゃ、いまのところ、私たちが一番(先頭)な わけですね。』 ほどなく喜志駅に到着。すると、線路沿いに反対側(富田林駅側)から、 山田さんらが走ってきた。どうやら、富田林駅を見学してから、こっちに 戻ってきたらしい。 第一CPからこの第二CP(喜志駅前)までは、正しいルートをくれば 9キロ程度だったのだが、3キロほど余計な距離を走ることになり どえらい長い9キロとなった。 B喜志駅から二上山(♂ & ♀岳)、築山駅前を経て箸墓へ。 余り長く休憩すると、走り出すのがイヤになるので、みんなより 一足はやく、喜志駅をあとにして次へ進む。が、ちょっといくと 複雑な交差点。もう、間違えるのはごめんだ。人頼み、GPS頼み、も やめよう、と地図を取り出し、確認する。確認している間に ほどなく山田さん、裏野さんらがやってきて、あっという間に 右斜めの道をいってしまった。結局、私もついていく。 どうも地図は苦手だ。3〜4キロ進んだろうか? 六枚橋という ところを越えてしばらく進むと、えらい情緒ある石畳(?)の古そうな 街道に入っていく。竹内街道というところらしい。このあたり、 そろそろ、二上山への登りのはじまりであるのか、緩やかな 登りが続く。狭い街道を抜けると、休憩所があった。ここでトイレに 立ち寄る。このあたりは、中平さん、シューさんと一緒で 他の人は、少し先に行ってしまったようだ。 トイレのあと、すぐ車道に戻る。ちょっといけば、左にそれて 二上山の登りに入ることになっているが、入り口がわからず、 ウロウロする。少し前にいた浅井さんや奥さんと合流。5人で ウロウロしながら、二上山への登り口を探す。暗くて不気味で 一人なら、とっくにリタイアだ。もうちょっと先にいってみようということに なり車道を進んでいくと、少し前に明かりが見える。休憩所みたい。 近づいてみると、駐車場のようなところでトイレもあっただろうか。 関根さん、ひびさんがサポートカーをつけてくださっている。 ここからが二上山への登りらしい。いってみると、なぁんだ、ここだったのか 案外わかりやすいじゃないか、、と思ったけど、この登り口、 関根さんやひびさん、それに、同行のランナーがいなければ、見つけだせ なくて、逃げて帰ってたことと思う。水分補給だけさせてもらって 山道へ入る。山道へ入ると、いきなり急坂だった。すぐに息があがり、 脚も重くなった。地図も苦手、山道(登り & 下り両方とも)が苦手、 ウルトラマラソン経験も薄い私には『三重苦』だ。最後尾から登っていく。 『二上山なんて、地元の小学生が遠足でいくようなかわいい山。甲山 ぐらいのもんやろ、、』とマッちゃんから聞かされていたけど、 『どこが甲山やねん? どえらい登りやないか?』 真っ暗なせいもあり、かなり長くてきつい登りに思える。だいぶ登った だろうか。ようやく雌岳に到着。それから、雄岳へ。雄岳山頂から 降りる道を間違えたらえらいことになる。慎重に道を探して、降り口を 発見。ここに違いないだろう、、とみんなで降りていく。 登りも苦手だが下りも苦手な私は、最後尾を行くことにした。 下り始めてすぐ滑って派手な尻餅をつく。痛い。腰も痛いのに お尻まで痛くなってしまった。おまけに、弱い顎がずれてしまったのか 顎まで、かくかくいうようになり、口を大きく開くことができない。 脚が動かなくなっても口だけは永久に動かし続けることが自慢なのに、 その口まで動かなくなってしまうのか、、、と思うと悲しくなった。 とりあえず、じっとしていても誰が助けてくれるわけでもないので、 ゆっくりながらもソロソロと降りていく。ひびさんの脚がほしいものだ。 ひびさんは下りが超得意なのだ。どれだけ下っただろうか。 ようやく、下り終えて二上神社口駅に到着。 もう少し下ると、サポートカー(関根さん&ひびさん)がいて、先客も 見える。先客の中には、マッちゃんもいるようだ。よし、追いつこう、、 と思ったが、先客は私たちが到着する少し前に出発してしまった。 少しだけ休憩して、また走り出す。そろそろ夜明けだ。もうかなり薄明るく なっている。辛い一夜が明けて、ちょっと気が楽になった。しばらくいくと 築山駅前。ここらへんは、比較的まっすぐな道であることに加え、すっかり 夜が明けたことも手伝って、少し前をいくランナーが見える。 築山駅前で、小寺さんに追いついた。一人で走ってたのだろうか? あの山道を? すげぇ、勇気や! と感心する。 着替えているのか、脚が痛いのか、よくわからないが、立ち止まっている。 CP表を記入しているのだろうか? 道の反対側にいたこともあり 声をかける余裕すら私には残ってなかった。ごめんなさい、、、。 ここで、ようやく34キロぐらいを終えたことになる。時間は、午前5時20分。 残り14キロを1時間40分で進まないといけない。7時に箸墓のCP(48km地点) を通過しないといけないのだ。多少の遅れは許されるとしても、 ここを脚切りタイム(7時)で通過しておくと、後々の走りに余裕ができること になるのだ。後半になるほど、脚切り時間が緩くなっているのだった。 しばらくいくと多神神社というところにたどりついた。ここで、サポートカーが いたので、ちょっと休憩。築山駅前から多神神社までの道も多神神社から 第一関門(箸墓)までも、かなり右に左に、こまめにまがった気がする。 本当に北緯34度上を進んでいるのだろうか、、と疑いたくなった。 とにかく、多神神社でも余りゆっくり休憩している暇はない。そうそうに休憩を きりあげて前へ進む。 どっちの方角を向いて走っているのかよくわからなかったが、一つだけ 東に向いて進んでいるときだけは、よくわかった。 太陽が昇ってきてきれいだった。『太陽の道だ! 気持ちいい』と思った。 箸墓まで、もうあと少し、、ってところで、少し、道がわからなくなったが なんとか、箸墓に到着。7時2分だった。ほっ。 ここで、ずっと追いつけなかった少し前を行くグループに追いついた。 マッちゃんもいた。箸墓で、15分ほど休憩しただろうか。ここから山辺の道へ 入っていくことになる。関西周遊でも通るコースだ。ちょっと感動する。 ここからマッちゃんと一緒に進むことになる。阪本さんと関根さんは選手交代。 200メートルほど進んでから、昨夜使わなかったゴアテックスの防寒具が 腰痛に応えるので、サポートカーに預けることにする。 昨夜、動いてさえいれば余り寒くはなかった。もう一枚、薄手のウィンド ブレーカーを持っているから、こっちだけ持っておけば、今夜、乗り切れる だろう、、と判断して、要らないものはおいていくことにした。 サポートカーまで戻って、ひびさんにゴアテックスを預かってもらう。

----------------------------------------------------------- ■ 山辺の道〜長谷寺まで ■ ----------------------------------------------------------- 山辺の道って、高校3年生の遠足できて以来だ。いや、そのあと、昔、デートできたことがあったか? 箸墓から、ちょっと坂道を上り 福原神社を道に折れたところあたりからを、山辺の道、、と呼ぶのだろうか?すぐ後ろから、関根さん、シューさん、中平さんがきてたように思うのだけど、私とマッちゃんが少しだけ走った(早歩きした?)うちに、少し 離れてしまったみたい。山辺の道に入る頃には、もう8時頃となり、すっかり太陽も昇りきっていて じわじわと暑くなってきた。寒さ対策のため、裏起毛の暖かめの長袖ランシャツをきていた私には辛くなってきた。時々、木陰があるのが、幸い だったけど、三輪神社を過ぎて、少しいくと完璧な車道に出た。ここからは、気の遠くなるような暑さとの闘い。長谷寺までたかが 8キロ程なのに、なんとも退屈な道に、暑さで、思うように進まない。何度も地図を見るが、わずかずつしか進まないことにもどかしさを感じる。 少し前を快調に走るマッちゃんが見える以外は、前にも後ろにもランナーはいない。頑張ろう、、と自分に言い聞かせて走る。 ようやく、長谷寺参拝、、と書かれたようなところに到着。国道に別れを告げて、左の細い参拝道を進む。こういう参拝道は大好きなところの 一つだ。どこも余り変わらないけど、土産物屋が並び、楽しい。最後にかなり急な勾配があり、ようやく長谷寺到着。 先ほどの箸墓で、ひびさんが、『次は10キロ程先の長谷寺までサポートなしやからねぇ、、車、とめられるような場所がないし、、』と言っていた。というわけで、ここでサポートカーがいるはず、、、。なのに、いない。 もう少し、先の車が止めやすそうな場所にいるのかもしれない、、と思ったが、サポートカーまで身体が持たないので、長谷寺下の自販機で 給水。炭酸系の飲料で喉の乾きを癒した。ここで、服部さんという東京のランナーと一緒になったように思う。

----------------------------------------------------------- ■ 長谷寺〜戒長寺まで ■ ----------------------------------------------------------- 自販機をあとにすると、ここから緩やかに登りが続き、もう少しいくと、東海自然歩道に入ることになっている。 少し行くと、案の定、サポートカーを発見。『お粥があるけど、どう?』と聞かれるが、余り胃を通りそうにない。さっき、炭酸系飲料水を飲んだから お腹は持つだろう、、Wandaは意外と燃費が良いのだ。食べなくても走れる方だと思う。お粥を断り、先を進む。少し行くと、裏野さん発見。 『おっ、頑張ってるやん。』と裏野さん。『あかん、もうへろへろや。』とWanda。 かなり、へろへろだったけど、少しは、自宅から鷲林寺下周りで宝塚ゴルフクラブを抜けるコースでの坂道練習がきいたのか、なんとか、進むことが できる。まほろば湖をぐるっと廻り込み、ほどなく山道(東海自然歩道)へ。 山道へ入ったところで、財布を発見。発見したのが、東京の服部さんでマッちゃんが拾い、Wandaのリュックへ入れたのだと思う。 さらに先へ行くと谷川さんに追いつき、財布を落とさなかったかどうか訊ねてみる。どうやら、財布は谷川さんのものだった。 『拾ってきてよかったです。じゃ、これっ。その代わり、私が喉が乾いてもう駄目だ、、って時に、ジュースかソフトクリームでも、 ごちそうしてくださ〜い。』と厚かましくお願いする。ずっと登りが続くが、山道が続き、気持ちがいい。23時スタートって 辛いと思ったけど、山道の大半を昼間のうちに走ることができる設定になっているみたい。よく考えてあるんだと思った。 鳥見山の展望台へ登ると、今、登ってきた道、これから進むのであろう道が見える。これから進むであろう道は、余り見ないほうがよさそうだ。 ひたすら、山、山、山。この展望台から戒長寺までの7キロは長く感じた。展望台から 戒長寺までの途中、右折して田んぼの中へ降りるところがあるが、うっかり見過ごして、真っ直ぐ行ってしまいそう。服部さんと谷川さん(?)の お陰で見過ごさずに済んだようなものだった。感謝、感謝。田んぼの道は気持ちよかったが、とにかく暑くて長い。山部赤人の 墓までの距離表示が出ているが、この距離表示間違えてるんちゃうか〜と思えるほど長かった。 ようやく戒長寺下に到着。何もないところだ。サポートカーもいない。ここで、永田さんだったろうか。少し寝ていくという。昼間のうちに、 距離を進めておきたいマッちゃんと私、それに、他に服部さん、谷川さんらは先を進むことにする。

----------------------------------------------------------- ■ 戒長寺下〜室生寺まで ■ ----------------------------------------------------------- 少し行くと、裏野さんが後ろからやってきた。先に行ってるとばかり 思ってたが、後ろから来るなんて何故? とたずねると、道を間違えて どっかへいってしまってたらしい。道を間違えても間違えてもへこたれず、 すぐに追いついてくる。さすが強いランナーはちゃうなぁ、、と感じる。 ちょっと下ると国道(??)の下みたいなところを通って、さらに下ることに なっている。ここらへんで、ひびさんからマッちゃんに電話。 『下りきったところのお寺に居るからね〜。』って感じの電話だったと思う。 電話の感じからすると、エードで何が必要かもきいてくれてるみたい。 『プリンとチョコレートパフェ!』と横から叫んでみるけど、ひびさんには 聞こえてないやろなぁ、、。 裏野さんは、あっという間にスピードをあげて、下っていってしまった。 マッちゃんと私も後に続く。 お寺か神社か、よく覚えていないけど、下りきったところの道路横断手前で ひびさんと阪本さんのサポートを受ける。暑くなってきたからありがたい。 『次は室生ダム、室生寺やから、頑張ってね。室生寺にいったら、色々と 食べるところがあるから、、』 エードの前の道路を横切り、進んでいく。みんな速い。あっという間に 距離が開いていく。まっ、のんびり行くか、、昼間やし一人でも平気やし、、、 と自分のペースでいくと、先に進んでいた人たちが立ち止まっている。 何かと思えば、『崖崩れあり。この先、通行止め』とある。車だけじゃなくて、 歩行者も通れないみたいな感じ。でも、こんなの、本当に通れなかったら さっきのエードで、阪本さんかひびさんが何か言うてくれてるやろう、、と 思い、先を進むことにする。橋を渡って少し行くと、確かに酷い崖崩れの ところがあった。ロープがはってあり、通行止めになっている。 歩行者も通行禁止みたいだけど、ロープの下をくぐっていく。 一番、酷い崖崩れのところは、崩れた岩の上を歩いていかなければ ならなかった。ちょっと怖いので、ゆっくり、そろそろと進む。 崖崩れのところを通り過ぎると、マッちゃんは、速度をあげていってしまった。 始めは、背中が見えていたけど、どんどん、背中が小さくなり、ぐぐっと 折り返すようになっているところで、遂に見えなくなってしまった。 服部さんと快調にとばしていったみたいだ。 まぁ、室生ダムまでいけば、待っていてくれてるのかもしれない、、と思って 室生ダムを目指す。ようやく室生ダムに到着したが、誰もいない。 案外、冷たいのね、、と思ったが、まぁ、一緒に走る約束をしてたわけでも ないし、一人で進む。 少し、ピッチをあげてみたが、誰にも追いつけない。ダムから室生寺まで 6キロぐらいのようだけど、ここも長く感じた。ようやく室生寺に到着。 室生寺手前で駐車場らしきところにあがる道があったが、そこへはあがらず 真っ直ぐいくと、草餅などを売っている土産物屋が立ち並ぶ道に 出た。こっちでいいのかな? と地図をみていると、右の道から 谷川さんと裏野さんが降りてくる。なんで? なんで、そっちから出てくるの? と訊ねると、こっちを通らないと駄目なんだよ、、えらい坂道で歩き癖が ついてしまったわ、、と裏野さんが言う。 どうやら、室生ダムからちょっといったところの分かれ道で、右の石畳の 道に入るべきとろこを、左の車道をきてしまったらしい。あ〜ん、ごめん なさい、、。車道のほうが、負荷は少ないけど、距離が長いだろうということで 許してくださいませ。 『マッちゃんともう一人のお兄ちゃんは? 見なかったですか?』 『見てないなぁ、、』 『室生ダムの手前で引き離されて、どこに行っちゃったんか わからへんねん。先にいってるんやろか?』 『車道を間違えていってたら、先に行ってるやろな。どっちか わからんわ、、』 と裏野さんたちと話ながら、進む。 室生寺近辺にサポートカーがいてくれるだろうと思ってたが、ここには サポートカーはいないようだ。室生寺を過ぎて、少し、進んでみたけど、 この先、サポートカーも給食できるような場所もなさそうだった。 少し先を行く裏野さんと谷川さんに、『私、ガス欠で動けないので、 室生寺のあたりまで引き返して、草餅食べてから行きますっ』と 後ろから叫んで、引き返した。燃費の良い私も、さすがにガスが切れかけて いた。よく考えれば、ご飯とかうどんとか、炭水化物を何も食べていない。 時間は、13時半だ。お腹も空いて動けなくても当然だ。 少し戻って、草餅を買う。1個ずつのばら売りっていうのがないので、 1パック(6個入りだったと思う)を購入。買っていると、谷川さんと裏野さん も引き返してきていた。やはり、何か食べていくことにしたらしい。 同じ店で草餅を買って、3人で店の軒先の陰に腰掛けて食べる。 ここでだったか、谷川さんに財布を拾った御礼ということで抹茶ソフトを ごちそうになる。めちゃくちゃ美味しかった。 草餅を食べていると、マッちゃんと服部くんが降りてきた。 この二人も、Wandaと同じ車道を通ってきていれば、もっと先にいってた ことになるが、間違えずにちゃんとした石畳の急坂を通ってきたらしい。 『なんでWandaが先におるねん?』 『道、間違えちゃったよ。分岐がわからなくて、車道を真っ直ぐきて しまったみたい。わざとじゃないよ。必死に追いつこうと思って いったんやから、、、今、ガス欠で草餅買って食べててん。 1パックに6個も入ってるねん。一人でよう食べへんから、マッちゃん、 少し、食べへん?』 マッちゃんに3個、草餅を分けてあげる。谷川さんと裏野さんは、 草餅だけじゃ物足りないようで、ちゃんとしたご飯を食べたいみたい。 私は、もう充分。少し、休んでお腹が落ち着いたら、出発したい。 服部さんとマッちゃんも、草餅だけじゃ物足りない様子。 ここで、男性4人は、食事処へ。Wandaは4人に別れを告げ 先をいくことにする。マッちゃんは、ここで、うどんを食べてから、少し 寝ていくわ、、と言ってた。

---------------------------------------------------- ■ 室生寺から曽爾高原(おかめ池)まで ■ ----------------------------------------------------------- 先を少し進むと、宇野川橋というところにきた。ここで、二つに道が分かれて いるようなので、地図で確認する。でも、なんぼ地図を眺めても どっちに行けばよいのか、わからない。こんなことなら、みんなと一緒に くればよかった、、、と思いながらも、気を取り直し、地図を眺める。 でも、わからない。とりあえず、宇野川橋を渡り、道なりに進んでみる。 ちょっと行ってみたけど、どうも違うようだ。引き返そう。 橋の分岐点まで引き返す。民家らしきものがあるが、門を叩いてまで 道を尋ねる勇気がない。よしっ、電話してみよう、、と携帯電話を 取り出す。でも、電波が届かないところみたい、、。あ〜あ、、 そこへ、救いの神。一台の車が通りかかった。手を大きくあげて 道路に立ちはだかり停まってもらう。地図を見せて、この道を いきたいのですけど、、、というと、 『曽爾高原の方やね?』と逆にたずねられる。『そうです、そうです。この 宇野橋っていうのが、すぐそこみたいですけど、ここがどうなってるのか わからなくて、、、この道って、こっちへ折れるのですか?』 『その橋を戻れば、材木所(製材所)があるから、そこの道を入っていく んや』と教えてもらう。御礼を言って、さらに、引き返す。やっぱり、 間違えていたのだ。あ〜、情けない。引き返していると、谷川さんと 裏野さんがやってくるのが見えた。2人は、なんなく(間違えることなく)、 正しい道を進んでいく。なんで、みんな地図が読めるの??? 砂利道から、すぐに山道へ変わっていく。緩やかな登りから、あっと いう間に、急坂になる。裏野さん、谷川さんは、ぐいぐいと登っていく。 私の為に、少しゆっくり登ってくれているようだったので、 『私なら大丈夫ですから、先にがんがんいっちゃって下さい。』と言う。 頑張って登りながら、マッちゃんのことが気になった。 室生寺で少し寝ていく、、っていってたけど、こんな山道にはいらなあかん こと知らんやろなぁ。日暮れまでに、この山道越えたほうが楽やろし、 マッちゃんに伝えてあげたいなぁ、、と思うが、携帯は使えない。 仕方ないか。なんとか、早く起きて来てほしいものだ。マッちゃんは、 少し、眼が弱いから、夜の山道は危険なのだ。 もう谷川さんと裏野さんも見えない。一人でで登っていく。 かなり登ったところで、裏野さんと谷川さんが待っていてくれた。 『あれっ。待っててくれたんですか。すみません。ありがとうございます。』 と御礼を言って、先に進む。 更に先へ進むと、車道に出たが、その先、すぐにまた、地道(山道)に 入る。済浄坊渓谷(滝)への看板がある。こっちに間違いはなさそうだ。 また谷川さんと裏野さんは見えなくなってしまって、再び一人旅。 道を間違えないように進まなくては、、、。ところどころ、道が濡れて 滑りやすくなっているところがあった。気をつけて進む。ぱっと 開けたところを抜けると、車道に出た。ここで、曽爾高原へ行くには 右と看板が出ているが、地図で確認すると左に行くようだ。 よくわからない。地図をみて悩んでいると、谷川さんがやってきた。 二人で悩んだ挙げ句、左にいってみる。地図によると250メートル ほど車道を走って、また山道に入るみたいだ。250メートルは 軽くいっただろうと思うところで、山道への入り口があるが、どうも 違うようだ。ここだろうか、、? と悩んいると、農作業をしている おじいさんとおばあさんがいたので、たずねてみる。 そうこうするうち、裏野さんが上の道から戻ってきた。 裏野さんもわからなくて、探しにいってたようだ。なんとも難しい。 結局、3人とも地図を見間違えていた(自分たちのいる現在地を 間違えていた)ことがわかり、下へ下る。ちょっと下ると、浅井さんの 奥さんがいた。こっちでいいんですよね、、と確認すると 『そうですよ。そこのタンクのところから、下に降りていってください』 といってくださった。 奥香落山荘があった。一度、きてみたいと思っていたところだ。 こんなところにあるのか、と思った。 浅井さんい言われた通り、タンクの横から降りていくと、サポート カーを発見。『ここ、わかりにくくて迷いましたよ〜。そこで、浅井さんの 奥さんに教えてもらったんです。その前にお百姓さんみたいな人に 訊ねたら、今から山へ入ったら大変や、、とか言わはるし、、、』 と、道に迷ったことをひびさんにきいてもらい、少し休憩。 そこから、またちょっと下り、一瞬、比較的大きな道に出る。 裏野さん、谷川さん、私の3人で、ひびさんのエードを後にしたのに あっという間に、裏野さんがスピードをあげて小さくなってしまう。 続いて谷川さんの背中も小さくなりつつある、、。 裏野さんが民宿のところから、左に入るとき、手をあげて 合図を送ってくれたようだが、よくわからなかった。 谷川さんは、裏野さんが左に入ったところを越えて 大きな道沿いを進んでいた。でも、たぶん、間違えているよね。 私は、新岳見橋のあたりで、うろちょろ、うろちょろ。 思い切って、谷川さんに叫ぶ。『そっちじゃないと思いますよ〜』 引き返してこられた谷川さんと新岳見橋より、少し手前のあたりを 左に入らないといけないんだ、、といいながら、探す。 見つかった。少し、のぼり気味。あっという間に、谷川さんが 見えなくなってしまった。しばらく行くと、吊り橋が見えた。谷川さんは、 その吊り橋をとっくに渡り終えて、かなり先まで進んでいるのが かろうじて見えた。大急ぎで、吊り橋にいって、渡る。 でも、吊り橋のあとが、どうもよくわからない。ここで、間違えては えらいこっちゃと地図を確認するが、あ〜ん、またわからないよ。 困っていると、マッちゃんと服部さんが追いついてきた。 『そろそろ、日も暮れてくる頃だから、あぶないし、一緒に行こう』 ありがたい言葉だった。谷川さんを見失ってしまい、一人で行く覚悟を 決めたものの、夜は不気味で怖い。ほっとした。ぐんぐん、登って 曽爾ファームガーデンを通り過ぎ、しばらく、山道を歩く。 山道を抜けて車道に出たところで、反対側からきた車の人に 道を教えてもらった。このあたりから、空気が急に冷たくなり 寒くなってきた。かなり標高が高いのだろうか? それとも、 夕方になったせい? ちょっと時雨っぽい感じだった。 さらに車道を進んでいくと、谷川さんが降りてくる。 道がわからないらしい。そこで、こっちでいいはず、、と言って、 4人でおかめ池を目指す。ほどなく、おかめ池に到着。 想像していたものと大違いでびっくり。水は涸れ果て、真っ黒。 お亀池をぐるっと半周ほど、廻ったところに、上に登る道がある。 あれを行くのか、、とびっくり。でも、まだ、日が暮れていないのが 救いだった。 日暮れまでに、峠を越えてしまいたい。 登り切ったところ、峠の頂上で、誰かが手招きしてくれている。 梅田さんだった。

-------------------------------------------------------- ■ おかめ池〜中太郎池(酒屋)まで ■ ----------------------------------------------------------- 『ここまでですよ。登りは、ここで終わりです。ここから下りです。 頑張って下さい』と梅田さんが峠の頂上で叫んでくれていた。 谷川さん、服部さんは、既に登り終えて、梅田さんとしゃべっている。 マッちゃんとWandaは、あと一息。やっと頂上だ。万歳! 『ここから下りです。下り終えると、すぐエードがあります。』と梅田さん。 既に日が暮れかかっているし寒くなってくるので、とりあえず 降りようということになった。下りかけてすぐ、梅田さんが 『皆さん、エードで何を食べられますか? まず、パンですか? ご飯ですか? それから飲み物は何にしますか? 温かいものですか? それとも、冷たいものがいいですか?』と、一人一人の注文を きいてくれた。すごいエードだ。ご用聞きしてくれるエードなんて、、、。 全員から注文(希望の品)を聞き終えると、『じゃ、私は一足先に 降りて、エードで準備してますから、皆さんはあとから、ゆっくりきてください。』 とスピードをあげて、あっという間に見えなくなってしまった。 ぐんぐん下って、下って、下って、かなり下って、車道に出る直前に 暗くなったので、ライトをつける。そのあと、すぐ車道に出た。 もうかなり下ってきたと思うのに、エードの気配すらない。 『下りきったらエードですよ、、って言ってたのにな、、』と思いながらも 進んでいくと、阪本さんがお迎えにきてくれていた。阪本さんと 合流してからもだいぶ走ったと思う。ようやく、中太郎池(酒屋)に 到着した。『どこがすぐやねん? えらい遠かったで。』と思ったが、 至れり尽くせりのエードに感激し、遠かったことは忘れることにした。 なんと、おにぎりの包みまで剥いて用意してくれるのだ

----------------------------------------------------------- ■ 中太郎池〜老ヶ野まで ■ ----------------------------------------------------------- 至れり尽くせりのエードで、おにぎりにミニうどん、甘いものを少しとホットカルピスを頂き、元気になる。そろそろ、出発しなくては、お尻に 根が生えて、走れなくなってしまう。時間は、午後7時を過ぎたところだった。『じゃ、そろそろ行きます。ありがとうございました。』 『ここから先、大洞山というのがあり、そこは山頂へは行かず、横を巻いていく感じでやから、、それを越えると山は終わり、あとは 歩道ばっかり。山が懐かしくなるよ。』と阪本さんが教えてくれた。やった、もう次の大洞山で山道とおさらばなのだ。それも、山頂まで 行かなくてよいのだ。山道がなくて寂しいと思うことなんて、絶対ありません、、と言って、マッちゃんと出発する。谷川さんと服部さんも 同じ時に出発することになった。酒屋のところの交差点を渡り、少し行くと、さっきの酒屋のところの開けた雰囲気がだんだん寂しい 感じになっていく。民家もどんどん少なくなっていく。最後の民家を越えたあたりで、大洞山への登山道があった。 さきほどのエードで休みすぎて動きが鈍くなっていたが、この登山道に入り、少し身体も温まってきて、動きやすくなってきた。と同時に、 登りも結構、きついものとなり、少しだけ、前を行く3人から遅れがちになる。なんとか着いていかなきゃ、、と頑張る。ほどなく、登りが緩くなった。 なんだ、これで、終わりか、ここからは阪本さんが言ってたように、山の中腹あたりを巻いていくのか、と思うと楽勝、楽勝、と思った。 が、これは甘かった。この先、まだ、少しばかり登らなければならなかったのだ。ようやく車道に出た。やった。山道とはおさらばだ。万歳。 『山道も終わりで、ここから舗装路ですよね。じゃ、ここで、お別れしましょうか? 私たち、遅いし、ぼちぼち いきますから、もし、はぐれたら、どうぞ、気にせず先にいっちゃてください。』と、谷川さん、服部さんに告げた。 少しずつ、谷川さんと服部さんがペースをあげているみたいで、距離が開いていく。お別れしましょう、といったものの、 できるだけ、離れないように頑張ってついていったが、二人はかなり快調にペースをあげているみたいだ。 この老ヶ野の交差点までの間は、どえらい長かった。真っ暗な道が続く。去年の甲州街道を思い起こさせる不気味なところだった。 一人じゃ、怖くて絶対リタイアだ。途中で、犬に吠えられて怖かった。そうこうするうち、ようやく老ヶ野に到着。エードだ。 結局、谷川さんと服部さんと同じぐらいに老ヶ野に到着できた。

----------------------------------------------------- ■ 老ヶ野〜比津バス停を経て、峠越え ■ ----------------------------------------------------------- 老ヶ野のエードで水分補給の後、地図でここから先の道を確認した。『ここから2キロぐらい先に進んで、それから八千代橋っていう橋の ところで、右に曲がるんやね。ほんで、すぐ線路を越えることになってるみたい。線路を越えたら、線路沿いに2キロほど、戻るんや。 ほんなら比津っていうところなんや。比津の手前で、また線路を渡ることになってるみたいや。とにかく、八千代橋が最初の目印。その 橋に行くまでに箱根って地名のところがあって、橋のあたりには長楽寺ってお寺があるみたいやで。箱根、長楽寺、八千代橋や。 ほな、ぼちぼち、行こか?』とマッちゃんを促す。私たち二人が出発したあと、後ろから谷川さんがついてきたようだった。 八千代橋までは、マッちゃんとWandaが先に行き、少し遅れて谷川さんが走っていたが、八千代橋を渡り終えたあたりで、谷川さんとマッちゃんが 先に行き、Wandaが少し遅れてついていくことになった。橋から比津までは、2キロか、よくあっても3キロぐらいだと思うのに、 なかなか比津に到着しない。真っ暗な道で、標識もなく、あってるのかどうかもわからない。この比津駅は、真っ暗で明かりが一つもついてなくて、 見つけるのに苦労した。比津駅手前で、線路を渡るか、駅の下をくぐることになっているようだが、ここがとてもわかりにくかった。 3人で確認して、ようやく比津駅を発見。ここから、比津峠を越えるのだ。ところが、この比津峠に入る道が、また何とわかりにくいことか。 地図で見ると、峠へ入る道は、駅の下を通ることになっており、しかもわりと直角に曲がることになっている。ところが、実際に峠へ入る道は 駅の下ではなく、駅より、わずかに手前で、しかも直角ではなかった。地名を表す標識も何もない。街灯すらない。 『ほんまに、この道でええんかな?』と不安を隠せない。『あってると思う。行ってみなしゃあないで。そこに駅があるから 絶対、これやで。これしかないで。』とマッちゃん。結構な登りなので、完全に歩きモード。谷川さん、マッちゃんが 先を歩き、『本当にこの道でよいのか? いったい、どれくらい登らないといけないのか?』と疑いと不安を隠せないWandaが 少し遅れてついていった。本当に街灯も標識も何もない。そして、道を聞きたくても誰も通らない。 進んでみるしかない状況だった。峠の頂上で、道が二つに分かれていてそこは、右に曲がらないといけない(右の道を進まないといけない)ことに なっている。それだけは見逃さないようにしないといけない、、と思いながら、とにかく登っていく。しばらく行くと、対向車が一台やってきた。『このチャンスを逃してはいけない、、』と思って、車に停まってもらい 道をたずねた。車に乗っていたのは、中年のご夫婦らしき二人で親切に教えてくれた。 この道が比津峠であること、そして、下多気へ至る道で間違いないこと。峠の頂上付近では確かに道が二手に分かれており、右の道を 進まなければならないこと、、以上3点を確認し、不安が解消された。しかし、まだまだ登りが続く。ようやく峠の頂上らしきところに到達した。 そこで、先ほど、老ヶ野交差点で離れてしまった服部さんが追いついてきた。峠の頂上の分岐がまた、なんともいやらしい。地図では、これまた 直角に別れているように見えるが、実際の道は、どうもV字型である。この分岐が、ここなんだろうか、、と4人で考え込む。 『上の道を行くと、どうやら、美杉ゴルフ倶楽部に行ける道のようだ。ということは、下の道で間違いない、、』と結論づけた。 また4人旅になった。無事、下多気に到着。ここでは、サポートカーはいないので、先を進む。目指すは中町交差点だ。さきほど、 老ヶ野の交差点で、ひびさんが、『わからないけど、次は中町あたりにいるかも、、』と言っていた。中町は7キロ先だ。 谷川さんと服部さんの二人が先を走り、マッちゃんと私があとに続く形でかなり走った。マッちゃんが 眠いと言いだし、足下がふらついて、かなり蛇行して進むようになり何度か休憩をした。途中、マッちゃんが寝たいと言ったが、寝れるような 適当な場所が見つからない。走っていれば、寒さは平気だけど、停まるとやはり、少し冷えてくる。 しかし、マッちゃんはもう限界のようだった。眠気と眼の疲れで先を進めそうにない。 何度か、停まって休憩する。私たちが休憩するたび、谷川さんと服部さんも一緒に停まってくださった。『申し訳ないから、先に進んでいて下さい。 私たち、少し、休んでいきますから、、、』と言ったが、結局、全部一緒に休憩してくださった。 途中、また、道が二手に分かれていてわかりにくいところがあり、そこで、ちょうどバス停らしきものがあり、座れそうだし、少しは 風もよけられそうなので、そこで、少し、マッちゃんを休ませることにした。どちらの道に行けばよいのかは、谷川さんと服部さんが 様子を見にいってくれた。正しい道がわかったので、マッちゃんには少し、頑張ってもらうことにして、先へ進むことにする。 休憩するにしても、サポートカーをみつけて、そこでマッちゃんに休んでもらいたいと思った。途中の自販機で、4人とも温かいものが 飲みたくなり、休憩。そろそろ、中町のはずだ。しかし、ここでまた、中町の交差点を見過ごし、道を誤ってしまう。中町で右折しないと いけないのだが、行き過ぎてしまったようだ。1キロ弱行き過ぎただろうか。戻ることにする。結構、行き過ぎていたようで、ようやく 中町交差点を発見。左折する。戻ってやり直してみると、結構大きな交差点だったように思った。なんで、こんな大きな曲がり角を 見落としたのだろう。

----------------------------------------------------------- ■ 中町〜飯福田交差点 ■ ----------------------------------------------------------- ここから、また峠越え。清水峠という峠だ。登りになると、歩きモードになる。半分ぐらい登ったあたりだったろうか。ようやくサポートカー発見。 夜中の2時を過ぎた頃だったと思う。とりあえず、温かいものを頂くことにする。お湯を沸かしてもらっている間に、ひびさんに『すみません。 ここにどれくらい停車してはりますか? もうすぐ移動されますか?マッちゃんがかなり疲れているようなんで、20分か30分ぐらい 車で横にならせてもらいたいのですけど、、、』車は、かなりいっぱいで混み合っていたけど、服部さんとマッちゃんが 休ませてもらえることになった。これなら、安心して、マッちゃんをおいていける。少し、安心した。カップスープとミニうどんをいただいた。 マッちゃんも服部さんも寝ているようなので、一応、先に行くということを言って、谷川さんと二人で先を進む。峠を越え終わって、地図を確認する。 『ここから3キロほど行くと飯福田の交差点ですね。そこで右折ですね。』と谷川さんと確認して進む。先ほどまでより、ペースをあげたつもりだが なかなか飯福田の交差点につかない。峠を終えた時点で時計を見ていたが、その時間から考えると、もう交差点に到着してもよい時間だ。 谷川さんは、ぐんぐんペースをあげていってしまう。曲がりくねった道であり、もう見えない。おいて行かれては大変だと、ついていこうと するが、全然駄目だった。『この道であってるんでしょうか? 下出ってとこまでは間違いなく あってたんですけど、下出のあと、えらい長すぎると思いませんか?』と言ってみた。谷川さんも少し長いと思ってたらしい。そこは飯福田の 交差点まであと200メートルほどの地点だったと思うのだが、不安になり、引き返してみようということになる。少し、引き返した ところで、ひびさんのサポートカーに会う。神様ありがとう。『この道で会ってますか? そろそろ飯福田の交差点について いいはずなのに、つかないから、戻ってみようとしてるんですけど。』『合ってると思うけど、、、。僕、何度か走っるからねぇ。これで ええはずやけど。』『そやけど、そこのガードレールのポールに表示してある道の 名前とここの地図に載ってる名前がちゃうんですよ〜。』『しゃあないなぁ。見てきてあげるよ。』 ひびさん、ありがとう〜。ひびさんの車がいってしまって、待っている間のなんと長かったことか。不安だった。本当は、そんなに長い時間は 経過してなかったと思うのだけど、とてつもなく長く感じた。やっとひびさんの車が戻ってきてくれた。『こっちの道であってるよ。 この先にすぐ、交差点があるから、、、』ひびさんに御礼を言って、そのまま進むと、本当にすぐに交差点に 着いた。なんだ、あと少し、そのまま行けばよかっただけなんだ、、と思ったが、とにかく、ひびさん、様々、だ。交差点で右折し、 合ヶ野松坂線(国道45号線)に入る。標識で確認したから間違いない。

----------------------------------------------------------- ■ 飯福田交差点〜 ■ ----------------------------------------------------------- 飯福田の交差点から少し進むと、二つに分かれた分岐点があった。 地図と看板で充分に確認した後、左折した。左折すると 緩やかな上りがはじまった。また、上りだ。うんざりする。 中太郎池(酒屋)のエードで、阪本さんから、この先の 大洞山を越えると山道はない、、と言われていたが、それを 私は勝手な誤解をしていた。『山道はない ==> 坂道はない』と 思い込んでいたのである。阪本さんは、山道がない、アスファルト ばかりだ、、とは言ったが、坂道がない、とは言わなかった。 勝手に思い違いをした私が大馬鹿なのだが、幾つもの峠越えに 気が滅入っていた。 谷川さんは、まだまだ余裕いっぱいで上りもぐんぐん走れそう だったが、『上りは歩かせて下さい。夜が明けるまで、すみませんが 一緒に行って下さい。夜が明けてしまったら、置いていって もらっていいですから。』とお願いし、一緒にいってもらう。 これ(堀坂峠)が最後の峠だ。マッちゃんも頑張ってるかな、と 思いながら頑張る。完全に歩きモードだけど、休まず進もう。 堀坂峠への上りがきつくなり始める頃、少し空の端っこが 白っぽくなってきた。夜明けが近くなってきたみたいだった。 時間は午前4時過ぎだったと思う。 谷川さんは、走るのも速いが、歩くのも速い。同じように歩いて いるつもりでも、ぐんぐん差がひらいていく。峠を登り切る 頃には、夜が明けるだろう、夜があけたら、一人で行けるから 先にいってもらおうと思いつつ、必死に歩いた。それにしても どこまで続くのか、、終わりのない上り道に思えた。かなり 長い峠だ。 やっと頂上についたのは、5時20分ぐらいだった。 もうすっかり明るくなっている。水分補給をして、ちょっと 休み、乱れた呼吸を整えた。谷川さんには、先に行ってください といったが、ここまで一緒にきたから、最後まで一緒に 行きましょうと言われた。 10分ほど、休憩した後、出発する。出発して、すぐ左手の 空き地に一台のワゴンが停まっているのが見えた。 ひびさんが乗っていたワゴン(サポートカー)だ。 中を覗き込むと、みんな寝ていた。一晩中、いや、スタートから ずっと、こまめにサポートしてくれてたんだから、ランナーより 疲れているのは当たり前だ。 そのまま、先を進むことにする。上りも長い峠だったが、下りも 長かった。ぐんぐん下って、高速道路みたいな道路の下をくぐり、 少し狭い道を抜けて、午前6時15分、やっと野田のサークルKに 到着。膝が笑い出しそうなぐらい長い下りだった。もう上りも 下りもたくさんだ。ここで、食料補給をすることにする。 夜中に清水峠の途中で、カップスープとミニカップ麺を食べて 以来の補給だった。パンとヨーグルトと栄養ドリンクに水を 買って、サークルKの前に座って食べはじめた。 『6時半に出発しよう、、』と谷川さんに言われて、大急ぎで 食べる。かなりゆっくり進んでもらって、ずいぶん迷惑を かけているし、夜中、マッちゃんの具合がよくない時も 一緒にいてくださったから、余り迷惑をかけないようにしよう、と 思う。それに、あと2時間もすれば、日が昇り、気温が高く なってきそうだ。一番走りやすい、この時間帯に少しでも 進んでおきたい。残りは、あと33キロだった。

------------------------------------------------------------- ■ サークルK〜松阪城跡 ■ ------------------------------------------------------------- ちょっと食べ過ぎて、体が重いが予定通り6時半に出発する。ここからは、余り地図をみていなかったので、谷川さんの あとをついていかせてもらうことにする。7時12分、松阪城跡に到着。40分ぐらいで5キロ半を 進んだことになる。許されるペースだろうか。谷川さんがチェックポイント表に記入する間に、地図を確認して 次のポイントまでに道を頭に入れる。ちょっと下って、すぐ右折。そこからは、伊勢街道と呼ばれる道をほぼ、まっすぐ 進むようだ。次のチェックポイントまでの距離は、ほぼ10キロ。1時間半ぐらいあれば、到着できるかな、、と思う。

------------------------------------------------------------- ■ 松阪城跡〜斎宮 ■ ------------------------------------------------------------- 松阪城跡をあとにして、走り出す。少し走るとすぐ右折。右折してしばらくすると、携帯電話が鳴った。 誰だろう? 画面を見ると、マッちゃんからということが分かった。大急ぎで電話に出る。 『今、どこ? マッちゃんはね、今、サークルKに着いたよ? Wandaは、もうゴールした?』とマッちゃん。 『う〜んとね、松阪城跡を出て少し進んだところ。サークルKから 5キロほどで松阪城跡で、そこから少し進んでだところ。  マッちゃんとは、6〜7キロぐらいの差かな? 復活してんな。 心配してたで。頑張りや。こっちは、ずっと谷川さんと一緒に  走ってもらってるから、、あの、もう一人のお兄さん(服部 さん)は、どうなった?』 『ちょっと後ろにいはると思う。そんなに離れてないと思うけど。』清水峠でどれ位、休ませてもらったのか聞かなかったが、 どうやら復活したらしい。声が元気そうだったから大丈夫だろう。電話の間に、谷川さんとの距離がかなり開いてしまったので、 頑張って走る。ゆっくり停まっていてくださったお蔭で、少し先の交差点でやっと追い付いた。 『相棒のマッちゃんから電話があったんです。復活したみたいで サークルKに到着したといってました。もう一人のお兄さんも  復活して、少し後ろにいるようなこと言うてました』8時頃になると、かなり暑くなってきた。1時間前の冷んやりした 空気とは大違いだ。暑い。夜の寒さに備えて裏起毛のランシャツをきていたが、かなり暑い。頭がのぼせそうな暑さになってくる。 電柱に書いてある住所(地名)をちらちらとみながら、進む。かなり進んだと思ったところで、やっと5キロちょっとしか きてないことが判り、がっくりする。谷川さんとの距離が開いては待っていて下さり、幾度となくそんなことがあって、8時46分に ようやく斎宮に到着した。なんとか1時間半で10キロだ。ここでの休憩時間も含めて1時間半ぐらいですませたかったが、 ちょっとオーバーしてしまった。トイレ休憩だけ済ませて、顔を洗って、すぐ出発する。

------------------------------------------------------------- ■ 斎宮〜伊勢神宮 ■ ------------------------------------------------------------- 次の目標(チェックポイント)は、ここから10キロ先の 伊勢神宮だ。最後の二見が浦までを併せての距離が20キロを 切った。少し、元気が出てきた。もうちょっとだ。 しかし、気温がますます上昇し、じりじりと焦げ付くみたい だった。次の10キロも1時間半ほどで行きたいと思うが 思うように走れない。谷川さんは、相変わらず余裕で走っていく。 何度も途中で待っていてくださるが、追い付いてはすぐに 距離が開き、追い付いては距離が開き、、申し訳なかった。 なんとか頑張らなくては、と思うが、とにかく暑くて、 脚も重くなってきていた。進まないことがはがゆくて、悔しい。 情けない。それでも、少しずつ進んでいると、後ろから ひびさん運転のワゴンがやってきて、停まってくれた。 『何かありますか?』『もう何もないよ。』と言われたが、 一徹さんが、すぐ横の自動販売機にお金を入れてくれた。 『好きなものを押すといいよ、、』 『すみません。ありがとうございます』といって、炭酸系の 飲料をご馳走になる。 『もう、ここから先は、サポートないからね。ゴールで  待ってるよ。』『はいっ。ありがとうございました』 といって、出発。またすぐに谷川さんとの距離が離れて しまったが、少し先の交差点(右折するところ)で待っていて くださった。 『伊勢神宮まで行ってもらっていいですよ。ゆっくりしか 走れませんが、キロ10分ぐらいかかってますけど、 頑張っていきますから、、』 しかし、これで、谷川さんに大きな迷惑をかけてしまうことになった。 ここから少し先の小俣というあたりで、どっちにいってよいか わからなくなってしまったのである。地図を何度もみたが、 どうもよくわからない。ちょっと様子をみにいってみるしか ない。右に折れてみたが、それは間違っている道だった。 少し、行きかけたところで、谷川さんが『こっちだよ』と 呼びにきてくださった。あんまりにも私が来ないから心配して 戻ってきてくださったのだ。『すみません』と謝り、 やっぱり、また一緒にいってもらうことになった。 スピードは出ない、地図は読めない、最悪だ。今になって、 この完走記を書く為に、地図をみていると、なんで、こんなところで わからなくなったのかわからないが、もう、思考能力がなくなって いたのだろうと思う。 山田土口駅のところを行き過ぎて、民家で道をたずねる。 どこで行き過ぎたのかわからなけど、少しだけ戻って 山田土口駅に到着。あと少しで伊勢神宮だ。駅前の通りを 少し南下して、左折。 伊勢神宮だろうか。緑の木々が見えてくる。もう少しだ。 10時40分、伊勢神宮到着。小学校の修学旅行以来だ。 『関西の小学生は、今はどうかわかりませんけど、私の頃は、  修学旅行と言えば、伊勢だったんですよ〜。』と谷川さんに言う。 砂利道を歩いて、お参りを済ませる。10時50分ぐらいだった。 あと1時間少しで、8キロ行けるだろうか? ここまで一緒に走ってもらったことに対する御礼を12時までに ゴールすることで表したいものだ。左足の甲が靴紐の絞め過ぎか 脚の形が悪いのか、腫れてきて痛いが、8キロ走ればゴールだ。 頑張ればいけないことはないかもしれない。

--------------------------------------------------- ■ 伊勢神宮〜ゴール(二見浦/夫婦岩) ■ ------------------------------------------------------------- 伊勢神宮前の道を東へ進んで左折。いよいよ、二見街道だ。 最後の8キロぐらい根性を出して走りたいと思うが、 左足の甲の痛みは最高潮に達して、涙が出てくる。痛い。 二見浦まで6キロの道路標識があった。『あと6キロや。頑張ろう』と 谷川さんが励ましてくれた。さくら道なら、兼六園で桜を見終えた ところになる。途中、少し大きな橋を渡る。海が近くなって きたみたいだ。もう少しだろうか。橋を渡り終えると、コンビニが あった。休みたかったが、休んでいる時間はない。立ち止まって 屈伸を2度程して、左足の甲を指で押し、進む。ゆっくりでも 走ろう。歩くことだけはしないでおこう。 橋を渡り終えて、少し進むと、また谷川さんが待っていて くださった。少し進むと、梅田さんがお迎えにきてくれた。 『そこの先を曲がるんですよ。』と道を教えてくれて、 一緒に走ってくれた。『頑張って下さい。あと少しです』 『なんとか12時までにゴールしたいんです。でも、厳しいかな』 『いけますよ。』 旅館の立ち並ぶエリアを走る。 時計を見ると、12時丁度だ。行けるだろうか? もう左足が痛いなんて言ってる場合じゃない。 必死で走った。ゴール手前の神社のところで私の時計は 12時1分。この時計、1分ほど、進んでいるはずだけど、 どうだろう。鳥居をくぐって歩く。夫婦岩が見える。やった! ゴールだ。万歳! 長かった187キロが終わった。

------------------------------------------------------------- ■ ゴールにて ■ ------------------------------------------------------------- 夫婦岩をバックに阪本さんに写真を写してもらう。 まずは、一人ずつ。そして、谷川さんと一緒に1枚。天気が良くて、気持ちいい。途中、地図がわからなかったり 尻餅をついたり、マッちゃんの調子が悪くなったり、道に迷ってめげそうになったり、何度も何度もリタイアを考えたが、頑張って 走ってきてよかったと思った。ずっと一緒に走ってきてくださった谷川さんに御礼を言って 梅田さんの案内で宿に向かった。しんどかったし、辛かったけど、至れり尽くせりのサポートを受け、最高のコースだった。 途中、かなり泣きが入っていたが、来年もまた走ってみたいと思う。


--------------------------  ■ 最後に ■
---------------------------------------- # 関根さん、阪本さん、すばらしい大会に参加させていただいてありがとうございました。 # 関根さん、阪本さん、ひびさん、一徹さん、梅田さん、最初から最後まで手厚いサポートをありがとうございました。おかめ池でのお迎え & ご用聞きエード、嬉しかったです。 中太郎池まではすぐじゃなかったけど。 # 最初、一緒に走って下さったシューさん、中平さん、奥さん、それから、、すみません、お名前がわからなくて、ありがとうございました。特に二上山の下りで、お世話になった方、ありがとうございました。
 # 服部さん、途中、曽爾高原手前からずっと一緒できて楽しかったです。夜中にマッちゃんが眠気と目の疲れで走れなくなった(歩けなくなった)時、ずっと一緒にいてくださって、上着も貸していただいて、すごく助かりました。
 # 谷川さん、おかめ池手前で出会ってから、最後まで本当にお世話になりました。谷川さんがいなければ、ゴールまで来れてなかったと思います。私なんて見捨てていってたら、谷川さん、もっと早くに余裕でゴールできたのに、すみません。でも、ずっと一緒に走っていただいて、心強かったです。
  室生寺でのソフトクリームもご馳走さまでした。この御礼は、関西周遊で。
# 裏野さん、途中、一緒に走れて楽しかったです。曽爾高原で、ひびさんにレスキューしてもらえて本当によかったですね。
 # マッちゃん、途中、見捨てて置いて行っちゃってごめんね。二晩目、途中で別れちゃったけど、曽爾高原の上りのところで 『一緒に行こう』っていってくれたの、嬉しかったよ〜。来年も出たら、来年は、一緒にゴールを目指そう。  喧嘩、いっぱい、するやろけど。 The End -- Nagasaki, Yuriko