トップページへ     ウルトラマラソン&マラニック完走記目次へ戻る    レポート&写真集に戻る

2003年太陽の道マラニック 走難記(2003年3月21〜23日)

  20   宮本  建一

  <参加するきっかけ>

今年さくら道に参加することになり、1ヶ月前に100キロ超の練習はしておきたいと思いHPを見るとちょうど思っていた時期に190キロのマラニックがあるのを知る。下見を兼ねたマラニックも開催されるというので2月22日のマラニックに参加する。
2月22日(土)東海自然歩道大和路編は、午後より雨が降り、アップダウンが容赦なく体に突き刺さっていきふくらはぎがけいれんしたりして最悪でした。
リタイアしようと思っていた手前で雨が強くなり40キロを過ぎたところで打ち止めに。
「奥渓落山荘」で風呂に入り名張で打上げ。その時、阪本さんが「2〜300mすすんで(コースから外れていそうで)おかしい、と思ったら引き返せばいい」という話をされました。この言葉、本番で重要になるとはその時思いもしませんでした。
それと、阪本さんと会話しながら走っている時、「この太陽の道完走できたらさくら道 完走できるよ」という言葉をいただき3日後に「太陽の道」に参加を決める。

<さて当日、スタート前>

朝から仕事。18時で終え勤務地の京都から自宅へ帰り用意していた荷物をチェックし20時20分出発。
21時25分 南海本線浜寺公園駅着。もうすでにたくさんのランナーが集まっている。
マッちゃん、Wandaさんに挨拶した後参加賞をいただく。手渡してくれたのはひびさん。
「来たん?」と笑顔で。その後、駅の改札前で阪本さんからコースの説明があり浜寺公園へ移り記念撮影。
用を足していて戻るともうスタート。「がんばって」とサポーターの方に見送られてスタート。

<スタート〜箸墓(41.7km)>

マッちゃんたちについていく。7,8人いたかなあ。その中に高木さんという福島県郡山市より参加されている方もこの中にいた。この「太陽の道」という神秘的なものに引かれて参加されたとのこと。
この時期走る事が出来ないようだ。最初に通る「大鳥神社」をWandaさん先導で通過。まあ、東へ行ったらええねんや、ってな気持ち。やがて泉北1号線を横切り土師町の交差点へ。
ここから喜志までは以前営業でまわっていたことろだったので気分的に楽。が、夜であり、若干忘れているところもあったのでちょっと不安。と思っていると「皆任せてるで〜」とはマッちゃん。妙なプレッシャーが。今まで一番後ろを走っていたのが気がつけば一番前になっていた。
泉北高速の高架をくぐると見覚えのある風景にやってきた。ホッとする。「ここで間違いない」と。国道310号線大野芝交差点を斜めに横切り、500Mほどで出雲大社大阪分祠。この2〜300M先にひびさん、奥さんのエイドがありオレンジジュースをいただく。いつもこの道はよく混むのだがこの時間さすがにガラガラ。
南海高野線を越えすぐ右折。700Mほどしてまた右折して線路を渡る。するとそこには萩原天神。
ちょっとくねくね通って阪和道下。北余部(あまべ)交差点を東へいって船戸北。ここも注意を要する。交差点を渡ってすぐ左折。美原高校横を通って平尾の交差点。どうもややこしいらしいが全くそう思わなかった。
そのかわり後でややこしい道へ行ってしまうのだが・・・

コース通りに進んでいると後ろから関根さんのサポートカーが。「高木さん遅れてるよ」と聞いたので「待ってます」と言ってマッちゃんたちに先に行ってもらう。平尾交差点に戻って高木さんを待つ。携帯に連絡すると船戸北を過ぎたところと。
ん〜、ちょっと遅れてるなあ。やがて5分後現れる。一安心して平尾の旧家、さつきの、梅の里の住宅地のアップダウンを超えて近鉄喜志駅に。阪本さん、関根さんが待っていてくれました。(0時57分)
高木さんのリュックにはいろいろたくさん入れられていて重そうだったのでここで不要な物を預かってもらう。そうしているうちに後発隊がやってきた。お〜、早〜!
リュックをスリムにしてスタート。だらだら上って六枚坂の交差点へ。その前に後発隊に追い抜かれ本当の最後方に。右折して石畳の「竹内(たけのうち)街道」へ。

ここは日本最古の国道とのこと。やがて道の駅を経て二上山登山口へ。ここでひびさんたちのエイドが待っていてくれ「今さっき行ったで」と。コーヒーをいただいていると奥さんが「昼と夜とでは違うで」と。先週下見をしているがどうなんかなあと真っ直ぐ上って行く。山道でなく舗装されていてちょっと急な感じもしたが上りやすかった。
二上山雌岳にたどりつく。(2時34分)
ここには日時計のモニュメントや「太陽の道」を説明している看板がある。
それに大阪と奈良の県境に位置しているのでどちらの夜景も楽しめました。工事中の階段を通って次は雄岳に。普段ここは200円を徴収されるのだが深夜2時ということもあり番人さんはいませんでした。
次は山道の下り。ここでの高木さんの速いこと!あっという間に下っていく。「待って〜」と言って進む。情けない。聞くと「次に足を置くところがわかるんです」と高木さん。一度でいいから言ってみたい。遅い私に付き合ってもらい二上神社駅を横切り通称「ぽっくり寺」の看板のある駐車場で関根さん、阪本さんの待っているエイドへ。ここでみそ汁をいただく。

2月の下見でけいれんした話をするや否や「塩分が足らんからや」と阪本さん。
「間違いでなかった」と納得して”増塩みそ汁”をいただき再スタート。曲がりくねった道を進むが下見同様どうしても二上山を右手に見てしまう。このまま行けば南へいってしまう。東へ行かないと・・・「違いますね」と。「左へ行きましょう」と高木さん。ここから箸墓までほとんど高木さん主導で進んでいくことに。とにかく眠い。走り出して4、5時間しか経っていないのに・・・途中多神社でひびさんのエイドに寄るがあまり覚えていない。(5時26分)フラフラしながら箸墓へ。制限時間内(午前7時)に何とか到着する。(6時39分)
ここは「太陽の道」北緯34度32分の中心地。しかしここは誰の墓なんだろうか・・・

<箸墓〜室生寺(85.2km)>

謎に包まれた箸墓を通過し山の辺の道へ。少々小高いところにある。まだフラフラしている。
あまり徹夜は強くない。昨日から24時間以上起きていることになる。大神(おおみわ)神社を経て長谷寺へ。ものすごく長く感じる。途中、「箸墓まで来れたので十分です」と高木さんが言われペースを落とされる。
「それでは」と言って先を進むことに。彼女がいたからここまで来れたことに感謝、感謝。
長谷寺駅のかなり手前でひびさんたちのサポートカーがこちらへやってくる。
差し出された草餅をいただき高木さんのことを気にしつつも先へ。あとで腹が減ってはと思いみやげ物屋で草餅を買って先月下見したコースへ。「少し遅れているけど何とかなるだろう」という甘い甘い考えでいた。後でとんでもないことになるのだが・・・

鳥見山(とみやま)公園で草餅を食べる(10時22分)。このころから雨が・・・下見の時より早い降り出しだ。去年Wandaさんが迷った田んぼの中を右折し山部赤人の墓へ。もうしっかり雨が降っている。
かなりスピードが鈍る。戒神社から急激な下りを経て葛神社へ。阪本さんたちのサポートカーでうどんをいただく。車の中には高木さんが。途中リタイアしタクシーできたとか。
「20分ほど前に通過しましたよ。がんばったら追いつきますよ」と阪本さん。
何とかがんばって追いつこうとするがまたしても睡魔がやってくる。先ほどよりも強烈だ。
そして室生ダムに行く途中濡れない木の下で20分あまり仮眠してしまう。これ以上仮眠するとカゼをひいてしまうので先へいく。室生ダムを通過し石畳を上り室生寺へ。ここでカレーを食べて再スタート。

<室生寺〜・・・・>

先を急がないとという気もちがかなり強くなりかなりスピードを上げる。
この頃から気持ちに余裕がなくなる。橋を渡らずに左折し石畳へ。ダラダラ上っていく。雨も降っているので若干すべる。
石畳を過ぎ上り下りの分岐点がある。ここは東海自然歩道の道標があるが、右斜めにむいた標識もあり途中のこぎりで切られた跡がある。迷った挙げ句、上っていく。
急いでいて、おまけに一緒に走っている人はいない。正しいと思い込んでいるので一目散に夢中になって駆け上がる。
下見の打上げ時に阪本さんが「2〜300m行って引き返せばいい」と言われたことどこかにいってしまっていた。
やがて車が通ったことのあるような道に出る。「もう少しで(峠の)クマタワや」と道なりに進む。
その頃、雨が雪に変わっていた。ここは以前からの雪があり足跡を残して進む。が、下見のような風景に出くわさない。それどころか、鹿がいるでは!ここで「間違えたかなあ」と思うようになる。
「鹿がいたので仕方ないか」とサブい独り言を言って先へ進むがどうもおかしい。
足跡残してすすんでいるので元の場所に帰ることができる。が、一目散に上がって来たところは無我夢中だったためあまり覚えていない。

ここでひびさんに連絡する。幸い、コースアウトしたところは携帯電話が通じるエリアでした。
「戻れるか」「途中まで」その他どのあたりでコースアウトしたかも伝える。17時前か。
ただ、このままじっとするわけにもいかない。「ここからコースまではそんなに離れていないはず」
とは思うも無我夢中状態だったので手探り状態で戻る。「ここだったかなあ」と道なき道を降りていく。
が、来たルートではない。でも選択の幅が狭められ「ここだ」と思いかけそうになる。
「いや、違う」「ここだ」と心の中で錯綜する。これ以上動くとぬかるみにはまっていく。
またじっとする。そうこうしているうちにだんだん暗くなっていく。
とにかく携帯エリアから離れないでおこう。そう思いじっとしていると今まで雨に打たれていたので寒さが身にしみる。そのころには陽も沈み真っ暗状態。寒さと恐怖が入り混じった?震えがくる。やがてひびさんから「一人で夜を明かせるか?食べ物あるか?」と連絡があったので「あります。大丈夫です。」と答える。とにかく寝ないようにしよう。そればかり考える。周りを走ったりして寝ないよう寒くならないようにするが真っ暗なところをウロウロするのも気味悪い。
またじっとする。腰をかけもの思いにふける。そのうち家族のこと、会社のこと、友達のこと・・・
いろんなことが頭をよぎる。とにかく一晩越せば何とかなる。そう言い聞かせていたがやがてウトウトする。

どれくらいこのような状態が続いたか覚えていない。が、22時10分過ぎ、サポーターの奥さんから「今から関根さんとひびさんが山の中に入ります。声をかけるので答えてほしい」と連絡がある。
「はっ」として飛び起きる。危ないところだった。
このまま一晩連絡なければ、と思い来られるのを待つ。やがて40分ほどして「みやけ〜ん」とひびさんの声が。
「は〜い」と。だんだん声が近づいてくる。前から声で聞こえやがてライトの光が見えてきた。
こちらもライトをつけて応える。
「よかった」ホッとした気持ちと「申し訳ありません」という気持ちが入り混じった状態でした。
関根さんが先導し後ろからひびさんが私を挟むように下山。

関根さんのサポートカーに乗ってで与原公民館へ異動することになった。
途中、マッちゃんたちランナーを見かける毎に車を止めて声をかけておられました。本来されること以外に余計なことに時間を割かせ申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
与原公民館に到着。「着いたよ」と関根さんに言われるまで眠っていました。
「よかった、よかった」と阪本さんが迎えてくださいました。恐縮しきりでした。
高木さんも起きていて下さりました。豚汁、おにぎりをいただく。阪本さんから「明日大丈夫ですか?」と聞かれ「はい」と答え午前2時過ぎに床につく。

<与原公民館(145.3km)〜二見浦(190.1km)>

次の日(といっても同じ日ですが)5時に起きる。ほとんどのランナーが出発している。明らかに寝すぎだ。荷物を整え5時35分与原公民館スタート。渥美さんと一緒に走る(というより歩く)。スタートが23時の後発隊でしたので走力は相当なものでしょう。が、下りを飛ばしたりしてかなり辛い状態のようでした。私は、人より走行距離も少なく、たくさん眠っているので元気でした(自慢できることではないが)。最後の頂上の堀坂峠を越え下りに。その時、6時5分ごろ真正面から太陽が。今まで見た中で一番まぶしい太陽でした。「あっ、これが太陽の道なんだ。」と感動しました。そしてここにいることに感謝しました。あまりゆっくり行き過ぎると2時までに到着できなくなるので下りを利用して無理ない程度に走り出す。そして6時57分に野田のサークルKへ。すでにひびさん、奥さんが待っていて下さってました。「皆ここで食べていくよ」と言われておにぎり3個食べる。

ここで与原公民館に寄らずに走りつづけておられる方が来るということで少し待つことに。間もなく小坂さんという方がサークルKに到着。休憩後3人で進むことに。これからは1本道が多くなる。約1時間後松阪城跡に(8時3分)。
猿も飼われていました。誰が世話しているのかなあと思いつつ先を急ぐ。が、小坂さんが見当たらない。携帯にかけて連絡するも出てこられない。心配しつつも渥美さんと進むことに。ここも1本道だ。途中櫛田橋を渡る手前で小坂さんが追いついてこられた。「ごめんなさい」と。橋を渡るとひびさん、奥さんのサポートカーが待っていてくださってました。「今から時速5.3キロで時間内で到着しますよ」と奥さん。ジュースをいただき斎宮(いつきのみや歴史体験館)へ(10時4分)。
ここで金井さんに出会う。小坂さんが「先に行きます」と言って行かれる。いよいよあと20キロ。渥美さんも気合が入っている。当分また1本道が続く。4人が等間隔で進んでいる感じでした。小坂さんも少しペースが落ちたのかなあ、しばらくして追いつき次のCP伊勢神宮(外宮)へ11時50分に到着。日曜日ということもありたくさんの人が参拝に。私も「お守りいただきありがとうございました」と礼をし、お守りを買う。いよいよあと9キロ。「よ〜し!」と渥美さん。輝いてる〜!

ひたすら東へ。途中の五十鈴川 川底がよく見える。道路標識も二見浦○○kmとある数字がどんどん小さくなる。それに反比例して喜びが大きくなる。皆が待ち受ける夫婦岩前に到着。13時24分でした。記念写真を撮ってもらい、「いろいろご迷惑をおかけしました」と頭を下げる。「懲りずにまた参加してください」と阪本さん。関根さん、ひびさん、奥さんにもお礼、お詫びを申し上げて私の心も体も暖かくなったり凍りついたりした「太陽の道」は終わりました。


<最後に>

2月の下見の際にふくらはぎにけいれんが起こり、それが左足アキレス腱にまで痛みが出て正直このマラニックどこまでたどり着けるか心配でした。タイツの下にふくらはぎ用のサポーターを着用し、塩分を意識的に摂ったおかげで下見で起こったけいれんはやってきませんでした。最後まで硬直することはなかったです。そのかわり(と言ってはいけないのですが)体や心が硬直する出来事を引き起こし皆様にご迷惑をおかけしました。申し訳なく思っています。初めて「山の怖さ」を経験しました。そして、冷静さを欠いた行動をとるとどうしようもなくなることも。コースアウトした場所が携帯電話通話可能エリアであったのが不幸中の幸いでした。もしそうでなかったら、と考えると今もゾッとします。「これに懲りずにがんばれ」と激励も受けありがたく思っています。許されるなら来年も参加し今度こそ完走したいです。
最後になりましたが、主催されました阪本さん、関根さん、サポートしていただきましたひびさん、奥さん、それに一緒に走っていただいた皆さん、本当にありがとうございました。