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<太陽の道走り旅>
世紀を越えて
淡路島〜大阪湾・浜寺公園(大阪府)〜伊勢湾・二見浦(三重県)〜神島

 私達がしばしばトレーニングに訪れるダイヤモンドトレールの北方に位置する二上山(にじょうざん、または、ふたかみさんとも呼ぶ)の雌岳山頂には大きな日時計が造られている。ここで仲間と写真を撮っては楽しい休息を取る美しい場所である。

 
しかし、これが現代(20世紀)に造られた史跡の一つと考えたら・・ここには太陽の道と日時計の紹介碑がある。

「1980年2月11日NHK総合テレビで「しられざる古代」という番組が放映されました。この放送の中で奈良県箸墓を中心に淡路島から伊勢までの

北緯34度32分の線上に太陽崇拝および山岳信仰と何らかのつながりがある古代祭祀(さいし)遺跡がならんでいるという不思議な事実が紹介されました。この東西の線は「太陽の道」と呼ばれています。ここ雌岳も、この線上に近接しており御来光を拝するのに格好の場所となっております。このような古代から今に続く神秘的な事実や、太陽と日常生活の関わりを思い起こさせるものとして、日時計をモニュメントしました」中略、紹介碑より。私達はこの解説を見て、これだと決意。世紀を越えて「太陽の道」を走ろう。とこの計画が始まったのです。         

 12月29日午後、関根、阪本2名で車を走らせ神戸淡路自動車道にて淡路島へ渡った。津名一宮インターで高速道路を降りる。ガソリンスタンドで道を尋ねると親切に教えてくれた。民家の間の細い道を見つけ田んぼ道から山の中へ入って行くとひなびた、そしてひっそりとした伊勢神社に辿り着く。「西の伊勢」ここをスタート地点として19時20分走り始める。
<伊勢神社>
関根さんに車でサポートしてもらう。1km程で県道に出ると、更に3km程で津名町志筑交差点に着く。国道28号線を北上すると海岸線の道となり、東浦町の伊勢久留麻神社に着く。この神社も伊勢と言う名前が着いていることに驚いてしまう。旅の無事を祈ってお参りする。ここから西へ向かい石上神社を目指す。島を横断する道で小さな

峠を越えると、北淡町舟木である。標識と感を頼りに走ると石神神社に辿り着く。この神社は北緯34度32分の線上にある太陽の道の一番西に位置することを思うと、明日からがますます楽しみである。ここは女人禁制の看板があるので私は中に入らず関根さん一人でお参りをする。すでに、深夜12時を過ぎていた。急いで車に乗り大阪へ引き返した。      伊勢神社⇒伊勢久留麻神社⇒石上神社 31,1km

   <浜寺公園をスタート>
2000年12月30日7時30分、堺市の南海本線浜寺公園駅に集合する。参加者は、長尾康久、藤井光博、安中敏三、関根孝二、毛利絹子、阪本真理子の6名である。サポートは無く全員身の回りの物全てをリュックに詰めて8時に浜寺公園をスタートする。

 「太陽の道」と言っても北緯34度32分の線上に真っ直ぐ道路が作られている訳ではありません。しかし、出来るだけそれに近い道をコースとして選び、まずは大鳥神社を目指す。全員この走り旅の為に作った   

黄色いウインドブレーカーを着て走る。まだ朝早いため人通りは少なく静まり返っていた。大鳥神社の境内を通り抜ける。しばらく走ると出雲大社大阪分祠に着く。暮れも押し迫り初詣客を受け入れる準備が進められていた。このあたりは日置荘(ひきしょう)という地名である。この地名は太陽の道を測量したとされる日置(ひおき)一族に由来するらしい。細い路地を抜けて萩原天神を訪ねる。ここまで何度かジグザグにコースをとらなければならなかった。近鉄喜志駅を通過した所で、ほかほか弁当を買って食べる。みんな店の前で座って食べたが、ちょっと行儀悪かったかな。

 富田林市を過ぎると、二上山も間近に迫ってくる。叡福寺前で一休み。ここは聖徳太子御廟所があるお寺だ。太子町から竹内街道(古代難波と飛鳥京を結ぶ日本最古の宮道)に入り緩い登り坂になる。ドライブインから二上山
に登る登山道 に入ると傾斜は急になり高度を上げて行く。98年9月台風7号の被害で倒れた千年杉をくぐる。一汗かいてしまった。やっと展望の素晴らしい二上山雌岳山頂に着く。大きな日時計と「太陽の道」の紹介碑があり全員で記念撮影をする。皆で解説文を読み今回のコースの価値を認識してもらう。

 13時を過ぎていてあまりゆっくりしていられないので先を急ぐ。馬の背を通り標高517m雄岳山頂に登ると二上神社大津皇子墓がある。この山頂に奉られることはたいへんな意味のあることだろう。  

 一気に山を下ると大和高田市である。また、ジグザグにコースを取る。いくつかの川を渡る為に、橋を目指さなければならないからだ。大神神社の御神体と言われる三輪山が近づくにつれ二上山が遠ざかり太陽が沈もうとしている。古代の人はこの光景を見て季節を観測していたのだろうか。

 16時43分箸墓に着く。ここが太陽の道の中心地である。邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓ではないかという説のある大きな前方後円墳だ。ここから1km程で檜原神社に着く。「天照大神」を最初に祀り、元伊勢とも言われる神社である。ここは三輪山の麓にある小高い場所で遥か西には二上山を見渡せる。春分の日と秋分の日には二上山の方向に太陽が沈むのである。

 すっかり暗くなってしまった。懐中電灯を頼りに、日本最古の道「山の辺の道」を大神神社へ向かう。三輪山を回るようにして国道165号線に出て桜井市初瀬に18時30分着。コンビニで明日の朝食と昼食分の食料を買う。民宿「吉野館」泊まり。

 大阪市浜寺公園⇒日置荘⇒二上山⇒箸墓⇒大神神社⇒桜井市初瀬 53,5km

 

12月31日5時36分「吉野館」をスタートする。長谷寺はすぐ近くにあり5分程で着いた。本堂まで行くと、こんな朝早い時間なのにお参りしている人を見かける。

 次の目的地は「室生寺」である。東海自然歩道の標識に従い初瀬ダムを過ぎてから登山道を行く。昨日の平地を走るコースとはうって変わり、山また山の中である。旧伊勢街道の石畳が敷かれている。高束城址を過ぎて、鳥見山公園に着くころ明るくなり一休みする。夏ならばハイカーでにぎわうコースだろうが、12月の寒さではすれ違う人は誰もいない。

 万葉の歌人山部赤人の墓を見つける。山奥にひっそりと葬られている。「太陽の道」はこんな史跡を尋ね歩くコースであり、ますます楽しくなってくる。いったん国道165号線を横断して室生湖に出た。湖畔をぐるっと周って室
  <室生寺五重の塔>
生ダムを過ぎ、再び旧伊勢街道に入ると再び石畳が現れる。門森峠を越えて室生寺に着く。11時10分。幾つもの峠越えでかなり時間がかかってしまった。食堂に入り温かいうどんを頂く。とても美味しかった。

 三輪山、長谷寺、室生寺は同じ線上にあり興味深い。和歌山県の高野山が女人禁制に対してこちらは「女人高野」と呼ばれ女性を歓迎する寺でありうれしくなる。参拝料を払ってお参りする。3年前の台風7号で壊れた五重の塔が改修され真新しくなっている。周りの建物は歴史を感じる重圧感があるのに比べると少し違和感がある。台風7号は二上山の千年杉を倒し、同じ線上のこの室生寺の大木も倒したのである。

 室生寺を出て車道を行くとすぐに竜穴神社がある。    

小さいが室生寺よりも古い神社だ。宇野川橋から左に道が分かれ再び山道になる。クマタワ峠まで急な登りが続き、一汗かいてしまう。峠を越えなだらかな沢沿いを下ってゆくと済浄坊渓谷に出る。滝があり美しい渓谷だ。

  <亀山峠>

 渓谷の中だった道から視界が開け、兜岳、鎧岳の岩壁が左手に見えてきた。曽爾村太郎路に下ってくると、東海自然歩道の標識を見失ってしまい右へ行くのか左へ行くのか、倶留尊山の登山口が判らなくなってしまった。太郎路への下り口間違えたのだ。ちょうどお店が開いていて道を教えてもらう。

 吊橋を渡って倶留尊山への登山口を見つける。本日最後の登りに皆元気が出てくる。突然視界が開け、倶留尊山の山頂が見えて来た。眼下にはおかめ池高原が広がり素晴らしい景色だ。木の階段を登り亀山を越えると亀山峠に着く、16時。ここは、奈良県と三重県の県境である。     ここから、倶留尊山山頂まで往復したいのだが、もう時間 

切れである。往復したら暗くなってしまう。峠より中太郎生へ下山する。
    三重県美杉村中太郎生16時50分着。

 今夜の宿は旅館「三国屋」さんだ。一週間前下見した時に予約していたのだ。ここは伊賀の国、大和の国、伊勢の国、三国に隣接していることからこの名前がつけられた、と旅館のお上さんが説明してくれた。なんとこの宿を経営する辻美代子さんは、太陽の道を知っているのである。旧姓は日置(ひおき)さんで太陽の道を測量したのではないかと言われる日置一族の末えいだろうか。この村の佐野地という地区では全60戸のうち28戸が日置性を名乗っているらしい。20年前、NHKの取材班がこの旅館に一ヶ月も滞在して太陽の道を取材していたのだ。この村では有名な話である。20年の歳月を経て、私達ランナーがこの太陽の道を走るなんて、これこそ現代のロマンではないだろうか。

 すぐ近くの酒屋さんで明日の行動食を買い出しする。下見の時ご主人に周辺のコースを教えて頂きお世話になった店だ。6人で大阪湾から太陽の道を走ってきたことに感激している。

  奈良県桜井市長谷寺⇒室生寺⇒太郎生⇒三重県美杉村中太郎生 47,5km

 

 

 <旅館三国屋>                    <酒屋のご主人>

 

 21世紀1月1日新年を迎えた。お上さんと手伝いにきてくれたおばさん二人でお雑煮を作ってくれた。何杯もお代わりを勧められ、美味しくておなかいっぱい食べてしまった。宿の前で写真を撮らせて頂き、5時20分に出発する。

 この時間はまだ真っ暗である。今日は今まで一番冷え込みおまけに風も強い。国道369号線を横切るとすぐに急な坂道になり大洞山を目指す。雪もちらつきはじめ寒さが身にしみてくる。1時間程で大洞山登山口に着く。ここから東海自然歩道は北にコースを変えてしまうので、私達は老ヶ野へ下って行く。ここから先は全て車道を走ることになるが、標識は無くなり、手にしている地図が頼りである。

 老ヶ野から東へ向かう道が無く、北へコースを取り柳瀬に着く。柳瀬から南へ向かうと比津から東へ向かい峠を越えて美杉町に入る。34度32分の線上にこだわりジグザグなコースだ。自動販売機はあるが、店は一軒も無い山間の田舎道である。川沿いの道を中町まで来ると再び清水峠への登り坂になった。朝のお雑煮が効いていて何とか力が出る。6人全員快調だ。

 飯福田交差点から掘阪峠を目指す。松阪市の標識がありこの峠を越えればアップダウンは無くなる。途中左に折れる道があったが、見過ごして道なりに進むが、これが間違いの元だった。左手に飯福田寺があり、立ち寄って初詣となる。「おかしいな。地図ではこの寺は右側にあるはずなのに左手にあるな?」おかしいな、と思いながらも先を急ぐ。長い坂道をどんどん登って行くと、やはり着いた峠は右手にある峠だった。峠を少し下りると柚原町に着く。もう一度戻って掘坂峠へ登り返す元気も無く、遠周りになるがこのまま東へ国道166号線に向かうことにした。予定したコースを初めてそれてしまった。  

  <飯福田寺>

数キロ遠回りになるが、この道で松阪市へ向かう。

 国道166号線に出ると車の数が急に増える。お店に入って温かい物でも食べたいのだが元旦早々開いている店が無く、やっとコンビニがあり各自お弁当を買い、風の当たらないお店の裏で食べた。しかし、寒くて身体が冷え込んでしまった。本日初めて開いていたお店なので仕方が無い。

 松阪市内を抜けて東町の交差点から広い県道を走る。太陽が西の山に沈む光景がとても美しい。皆で写真を撮り、この太陽が沈む方向から走って来たことを実感する。

 櫛田川を渡ってから、旧伊勢街道に入る。車が少なく走りやすい。近鉄斎宮駅の近くにある、いつきのみや歴史体験館に着く。17時33分着。もう、閉館時間で閉まっていた。ここは太陽の道の陸の東端、斎王が住んだ宮殿、斎宮跡がある。       
     <日没>

館内に入ればその資料が見られたのにとても残念だ。  

 伊勢街道に戻り伊勢市へ向かう。平坦な道だが長時間の行動にペースは上がらない。なんとか気力で走り続ける。市の中心に近づくと曲がり角が多くてコースがわかりにくい。街道走りの感を頼りに走ると宮川に突き当たる。渡会橋を渡れば道は広く、いよいよ伊勢神宮だ。外宮着19時30分。とうとう東の伊勢までたどり着いた。皆で本殿へお参りする。新年を迎えたことを感謝し、今年一年が素晴らしい年であることをお祈りしました。

 今日のゴールまであと8km二見浦を目指す。予約してある民宿に電話して「今、伊勢から走って行くので遅れます」と伝えるが、「ならば、あと20分ぐらいですね」なんて思われてしまう。「いいえ、車ではなくて足で走っています」と伝える。

 伊勢市内を抜け、国道167号線に出ればあとわずかだ。旅館の立ち並ぶ二見浦に21時12分着。今日は16時間行動してしまい長い一日でした。

  三重県美杉村中太郎生⇒老ヶ野⇒細野峠⇒斎宮⇒伊勢神宮⇒二見浦 82,4km

 

 1月2日御来光を拝むため6時50分宿を出る。夫婦岩の前には沢山の人だかりができている。    

海岸に浮かぶ、まるで夫婦のような大きな岩と小さな岩が仲良くならんでいる。しめ縄がかけられ太陽を拝む自然の鳥居だ。夏至の頃にはこの岩の間から太陽が昇るそうだ。   この時期は海からの日の出ではなく、右手の岬から太陽が昇ってくる。雲の隙間から御来光を拝むことが出来た。宿に戻って朝食を頂く。

 8時に宿を出発。神島行きの定期船に乗るため鳥羽市へ向かう。国道167号線のトンネルを抜けると水族館がある。アシカとアザラシが道路脇の水槽の中で元気に泳いでいる。近づけばこちらに寄ってくるではないか。人になれていてとてもかわいい。

 8km程でJR鳥羽駅前にある定期船乗り場に着いた。いよいよ太陽の道の最終地、神島もあとわずかだ。9時50分の定期船に乗る。定員100名位だろうか小さな船なので上下に大きく揺れる。40分で神島に着く。

 この島では大晦日から元旦にかけて行われる奇祭、ゲーター祭が終わり落ち着いた雰囲気だ。それは太陽神を迎える祭りであり古代の村人は太陽の復活を祈るのだろう。ここは北緯34度32分太陽の道の東の起点であり謎めいた島だ。三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になったことでも有名。

 

 

 <八代神社> 

 急な階段を登り八代神社へ向かう。ゲーター祭の主役、グミの枝を束ね直径2メートルくらいの日輪「アワ」がここに奉納されている。太陽の道最終地点「八代神社」11時5分全員無事にたどり着いた。神島灯台の管理人に島の話を伺うことが出来た。この島は御来光が海から上がり、初日の出はきれいに見えたそうだ。ゲーター祭も賑やかだ。大晦日は何処の宿もいっぱいになると言う。はるばる淡路島から太陽の道を走って来たことを伝えると、島を一周して港まで戻った。

 これで世紀を越えた走り旅が終わる。今までになかった充実感があり、歴史の重みを肌で感じる走り旅でした。このコースを来年も企画したい、と思いながら神島を後にしました。


 2001.2.1           日本100マイルクラブ  阪本 真理子

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<二見浦の夫婦岩>