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さくら道国際ネイチャーラン完走記   1998.5.8  塩原 正

 皆さん応援有り難うございました。お蔭様で昨年に引き続き完走することが出来ました。
名古屋城での走友会の皆さんの応援、40〜47km間の萩原(昌)氏の伴走、そして、豊島さんの250kmにも及ぶ全コースのサポートと125.5〜130.3Km(24―25エイド)間の伴走、まさに至れり尽くせりのバックアップで、これで完走しなければ申し訳がたたないと後半、痛い足を引き摺りながらも何とか完走することが出来ました。

 また、荘川桜(144.7km地点)での私が写っている新聞記事、大会関係の載っている記事等、送って頂きまして小池さん、豊島さん、本当に有り難うございました。紙面を借りてお礼申し上げます。
例によってまとまりがありませんが以下に主題の完走記について、少しでもレースでの感じを汲み取って頂ければと思い記しました。

                               記
<準 備>
 昨年の反省を踏まえ今年は、“腰痛にならないよう腹筋,背筋をする、1週間前からの禁酒”の予定であった。しかし、蓋をあけてみれば、転勤が重なったこともあり、腹筋,背筋をさぼり、大会2日前になって筋トレをしたのが悪く、内股が筋肉痛になってしまった。
また、1週間前からの禁酒はしたものの普段と生活パターンが変わったため、便秘になってしまい、それを解消しようと前日にウォーターローディングのつもりで水を飲んだが、飲み過ぎてお腹をこわしてしまった。全くやり慣れないことはするものではない。
 この失敗談を一緒に走る大野君に話すと「そんなことは、細いことですよ。」と簡単に一蹴されてしまった。こちらもそれ以上言う気が無くなってしまった。
 しかし、短い距離と違い超長距離である。少しでも不安を取り除いておきたいところである。この失敗が後になってボディーブローのように効いてくるのである。

<参加者>
 今年は、昨年より10人枠が広がって60人となったが、いろいろな事情で結局参加者は招待選手8人(内外国人ランナー4人)を含む55人(内訳:外国人ランナー8人、女性14人、夫婦3組、最年少24歳、最高齢63歳、初参加者22人)となった。
今回、何と女性が14人もいる。“250kmを走る女性が”である 。

<レース>
 朝からお腹の調子が悪くトイレに3回もいった。昨年は、持って来るのを忘れてしまったが、今年は、しっかりセイロガンを持ってきた。早速飲む。これでいくらか落ち着く。
 6:00から5、6人づつ3分おきのスタート、昨年の実績から、後の方からのスタートとなる。大野君は第7組、私は第8組である。気負わずkm/6分、1時間に10kmのぺースで150kmぐらいまでは行きたい。走る前は、大きなことをいくらでも言える。

 6:21にスタートしてから約2時間、一宮付近(20km)、お腹以外は、順調である。一宮のエイドでトイレに入る。まだお腹がゆるい。またセイロガンを飲む。
 後からスタートした2組は、とっくの昔に追い抜いて行ってしまっている。しばらくは一人旅となる。
30kmぐらいから沖山婦人と抜きつ抜かれつとなる。エイドとエイドの間で抜き、エイドで抜かれる状態が続く。
70kmあたりから、腰痛、モモの筋肉痛が出始めエイドでの休憩が長くなる。携帯していた粉末のバーム(アミノ酸飲料:これが私の元気の素である)を水に溶かし飲む。これでしばらくは内股からモモにかけての筋肉痛が少し和らぐ。しかし、バームの携帯はもうない、1つ目の荷物が置いてある場所は、50km程先である。とにかく頑張るしかない。

<生意気なおっちゃん>
 距離が長いといろんなランナーと並走する。話の内容はだいたい、今日の調子、走歴等である。
今回初参加の安達氏もその一人。彼の歳は私と同じ45歳であるが、走歴が長く、昔は、フルマラソンを2:30を切ったとのこと、ウルトラマラソンについても、サロマ(100km)で7時間台をだしたとか、「今回のさくら道については、様子見で来年は優勝するつもりだ!…」。…聞いてると話はどんどん大きくなる。
挙げ句の果てには、私が「バテてきた」と言うと、「まだ半分も来ていないのにバテるようでは、駄目だねえ。僕なんかは、こんなゆっくりペースだったら全然問題ない、どこまででもいける。…」
 一言いうと10ぐらい返ってきそうだ。言うんではなかったと後悔する。これ以上付き合っていると余計疲れそうなのでお先に失礼することにした。
安達氏とは、その後エイドで何回か会ったが、第1チェックポイント(107.8km)では、「足の裏が痛い」と悲鳴を上げていた。練習不足である。彼はこれからの長い道のりを苦しむのである。

<失 敗>
 昨年は、第1チェックポイント(21エイド107.8km)に1つ目の荷物を置いていたが、早い時間に着いたので今回は24エイドに置いている。明るい内に24エイドまで着ける予想で懐中電灯、シグナルライト等を置いている。また、そこには、例のバームもある。21エイドでは、トイレだけ借りる。まだお腹の調子は戻ってない。胃下垂ぎみで食べ物をあまり受け付けないのと24エイドまであと少しと言う気持ちが先を急がせ、21エイドではあまり食べ物をとらずに出発した。ところが、走りだしてすぐにお腹がグーグー鳴り出した。「あ〜っ!あそこで無理してでもおかゆを食べておけばよかった」と後悔してもはじまらない。

 空腹を感じてからエネルギー切れになるまで、そう時間はかからなかった。次のエイドでは飲物しかなく、なるべく糖分を取るようにしたが、もう間に合わない。こういう状態になると今までの疲れも一挙に出て来る。23エイドに付く頃にはヘトヘトになってしまい、ここで大きなタイムロスとなってしまった。
 あたりもすっかり暗くなってきた。次の24エイドまでは、まだ6kmほどある。
荷物を23エイドに置くべきであった。自分の足を過信し過ぎた。
サポートしてくれている豊島さんから、スコッチライト付きのウェアーとシグナルライトを借り、また、スタートする。

<ボランティアと応援>
 今年は、昨年より各エイド共、人数も多く、飲食物も充実している。小さなエイドでもいろいろな飲物が置いてある。特にコーラなどは、フルマラソンぐらいまではゲップがでたり、お腹が膨れるため、敬遠されるが、ウルトラでは、貴重なエネルギー源である。今回だいぶ飲ませてもらった。まるで、次のエイドへ行く楽しみの為にウルトラマラソンに参加しているみたいだ。
 250kmの全コースに約5km置きに固定エイドがあり、スタートとゴールを合わせると50個所にも及ぶ。大会関係者を合わせると3000人程いる。大変な人数である。

 後半190〜200km付近では、腰痛と胃下垂でエイドに入り浸り、その度に リタイアを考えたが、ボランティアの励ましにより何とか持ちこたえられた。
応援についても昨年の倍は、いたように感じた。特に第1チェックポイントの白鳥町(107.8km)と第2チェックポイントの荘川桜(144.7km)では、まるでそこがゴールであるかのようで、スターになった気分になれた。
走行中も車の窓から、応援してもらい 大変元気が出た。

<追跡と故障>
 200kmを過ぎるころには、内股からモモにかけての筋肉痛がかなり酷くなり、五箇山の上りの2/3ほど歩いてしまった。五箇山トンネルの入り口にあるエイドで、前の選手との時間差を聞くと3人のグループで20分程あるとのこと。(こんなに休み休み走っているのにまだ順位を気にしている。)
現在自分は、12番目!取り敢えず前を追うことで疲れと距離を忘れることにする。
しかし、トンネル以降は、10km程の下りである。
モモにきている今、下りで無理をすると膝にくる。昨年は、ここを4:30/kmで走り、残り20km以降つぶれてしまった。ここは押さえて行かなければならない。が、トンネルを抜けたあたりでどうにも我慢出来なくなる。折角の下りをゆっくり走るのはいかにも勿体なく感じ、つい飛ばしてしまう。

 第4チェックポイント(213.4km) 以降も飛ばし、次の43エイドでは、10分差まで縮まった。うまく行けば、44エイドでは追いつくかもしれない。
 43エイドを出て10分程走ると前のランナーが見えてきた。まさかと思ったが、近づいてみると足を故障しているようである。自分も大分膝にきている。取り敢えず声をかけて抜き、前を追う。
44エイド、ここでも前との差は10分あるという。膝の具合からみて、そろそろ限界である。ところが45エイドに来ると前のランナー高澤氏(ウルトラの常連で今回は夫婦で参加している)に追いついた。 もう一人先に行っているのは沖山婦人。「彼女は非常に元気だ!」とのこと。残り21km足らず、もう追いつかないだろう。
 高澤氏も足を痛めている。先にエイドを出たが走れない様子。高澤氏の後を追うようにエイド出たが、他人事ではない、左足外側の膝が痛く走れないのである。
こうなるとタイムも順位もない。“このままで行けば悪くても29時間は、切れる”と思っていたが仕方がない。何とか走らなければと必死になる。痛い足で何度も走ったり歩いたりを繰り返しているうち、不思議なことに走れるようになってきた。
残り20kmもない。ゆっくりでもいい、このまま止まらずに行こうと決める。

<アクシデント>
 ゴールまでにまだ、二つの峠を越えなければならない。膝に負担をかけないよう、すり足走行となる。次のエイドでは、止まると走れなくなることを告げ、通過する。
 この間にまた二人抜く、二人とも故障しているらしく、声をかけても元気がなくふらふら歩っている。まさにサバイバルレースである。自分もギリギリのところまできている。ガラスの膝を抱え、後10数km走らなければならない。とにかく頑張るしかない。

 47エイド(239.1km)の手前500m程までくると前方が、何やら騒がしい。近づいて見ると事故のようである。更に近づくと何と沖山さんがうずくまっているではないか。
事情を聴いてみると道路の右端から左端に横断した際、後ろから来た小型のトラックと接触し、倒れた際、左腕を強打、右足首を捻挫したとのこと。普通であれば、119、110番するところであるが、幸い頭も打ってなく、打撲だけのようだということで、まず大会事務局に連絡を取ってもらうことにした。
丁度サポート中の豊島さんが来てくれたので、お願いをする。
彼女は、「これで来年からの大会が出来なくなる」と思い、落ち込んでいる。“このくらいでは中止にはならないから…と励まし、後の処置が気になったが、またレースに復帰する。と言っても、20分ほど立ち止まっていたため、走れなくなってしまった。
実のところ、この事故に出会った時、“これでリタイアの理由がたつ”と言う気持ちがわいたのである。今思えば、完走してよかったと思うが、その時は、苦しさから逃れたいという気持ちが強かったのだと思う。

<ゴール>
 取り敢えず、次のエイドまで歩き、そこからまた騙し騙しの走りとなり何とかゴール出来た。残り11kmを何と1:40もかかってしまったが、ゴールの瞬間は、昨年以上の喜びであった。
ちなみに事故の処理であるが、お互いの自己責任 ということで示談となり、彼女は、大会の車で医者に行き大したことはなく済んだ。車の方は、壊れたバックミラーを自分で修理することで決着が付いた。まずは、メデタシである。
(後で連絡をもらったことであるが、右足のコウが、剥離骨折しており、全治1ヶ月程とのこと、ちっともメデタシでなかったのである。交通事故というのは、軽いと思っていても以外と重傷のケースが多いのである。今後は、“こういう場面に遭遇した際は、もう少し慎重になるべきだ”と反省する。)

<結果>
タイム:29時間51分 順位: 8位 完走者:38人
大野君: タイム:33時間42分 順位:23位

<ウルトラランナー>
普通の人間は、100kmも走ると内蔵への負担が大きく、腰痛、胃下垂ぎみになり、食べ物を受け付けなくなってペースダウン或いは、リタイアしてしまう。
ところが、そうならない人間がいる。しかも、練習量も少ないのに簡単に完走してしまう。それが、ウルトラランナーである。
普通の人間である私は、彼らの1.5〜2倍練習し、しかも、腰痛、胃下垂等によるぺースダウンを考えると彼らの1.2倍のスピードが必要である。
ぺースでも彼らの方が勝っている現在、とても太刀打ち出来ない。互角に戦えるとしたら、次の飛騨ウルトラ(168km)である。
膝の故障を速く治し、練習するのみである。
後悔しない為に!
以上

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