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   ’98飛騨ウルトラマラソン完走記    1998.7.8 塩原 正

日本一UP/DOWNの厳しいこの飛騨ウルで、一人に1台のサポートカーと言う日本一贅沢なレースをさせて頂き有難うございました。お蔭様で予定通りのタイムでゴールすることが出来ました。と言っても、168kmの道程、すべてが順調であった訳ではありません。以下にその模様を記します。

                                  記
 今回初出場、まず驚かされたのは、開会式での実行委員の方々の若さである。この 大会の新鮮さとパワーを感じる。会場に早く着き過ぎたと思ったが、エイドカーへの荷物の振り分け、開会式などで、 アッと言う間にスタート時間。17:00スタートのBランクの選手を見送り、いよいよA ランクのスタート。 と言っても気負いもなければ緊張感もない。1分1秒を争うフル マラソンまでのレースと違い、ウルトラ特有の和やかなスタートである。 初めの数kmは、団子状態であったが、本命の沖山氏が徐々に抜け出していく。 私もさほど無理もなくついて行く。しかし、その差は徐々に広がり10km過ぎでは、400〜500m離れ、このまま追おうと思ったがお腹の調子が悪くなり、丁度公園のトイレを見つけたので、そこに飛込む。 2〜3分後トイレから出てくると、すでに大勢のランナーが通り過ぎており、最初に いくら頑張っても僅か数分しか変わらず、おまけに頑張った付けが後から廻ってくることを考えると、ここで無理はするものではないと自重しペースを落とす。

  エイドカーの待つ40km地点までの間にひとつ山を越える。 この当りからランナーがバラバラになり、一人旅となる。 スタートから2時間も経つと夜にドップリつかり、相当な距離を走ったような気がする。しかし、あまり寂しくもない。40kmまでは比較的町も多く、ランナーが近づくと 子供たちが走り寄ってきてランナーのゼッケンを大きな声で連絡し、大人が大会名簿を みてランナーの名前を呼んでくれる。何度もそういう場面に出会う。 大会の基本概念にそって飛騨地区全体が一丸となって盛り上げている様子が感じ取れる。その大会に参加出来たことを大変光栄に思うと同時に、よーし頑張るぞー!とファ イトが湧いてくる。

 エイドカーの待つ39.6km地点ではかなり賑やかで、ゆっくりしたい気持ちはあったが、エイドカーのメンバーとの挨拶もそこそこにすぐにスタートする。 因みにこのポイントまでの時間は3:16。トップの沖山氏は、20分前に通過しているとのこと。とても太刀打ち出来ない。本番はこれからである。エイドカーが付いてからは、各エイドでも、また、エイド間でも各ランナーのエイドカーから、“頑張れ!”コールがあり、非常に励みになる。 ここで私のエイドカーのサポータを紹介する。

 河原治彦さん:JAひだ、ボランティアグループのまとめ役的な方。
 佐藤伸明さん:JAひだの方、サポートカーの運転をして頂く。
 和田豊子さん、純平君親子:二人の連携サポートに大いに助けられる。
 大野健治さん:名古屋での走友会(天白川走友会)仲間飛騨ウル出場2回の強い味方。

と言った最高のサポートメンバーである。 このサポーターとの息も合い平湯峠(標高1684m)までは何とか順調に来れたが、問題は、ここからの30km/(高低差約1150m)の下りである。 無理をすると次の山吹峠10km(高低差700m弱)の登りが走れない。 下りに入ると足の裏が痛くなってきた。いつもそうであるが、買ったばかりのシュー ズでも大体足に合うので試し履きを殆どしない。このシューズも一昨日買ったばかりで ある。それが祟ったのである。初歩的なことは守るべきであると反省する。

 第1CP(70.9km)でシューズを履き替え足裏の痛みはなくなったが、今度は、さくら道 ネイチャーランで傷めた膝が疼いてきた。我慢せず、すぐにテーピングを行い、モモと 膝を和田親子の連携によりアイシング。以後、各エイドでのアイシングをずっとして頂 く。お陰で山吹峠も歩かずに済み、さすがにエイドカーの数も少なくなってきた。 ところが、凄い人間はいるもので、伊西峠の下り10km(高低差700m)で二人のランナーに一気に抜かれてしまった。 後ろから追ってくるランナーは、そのランナーのエイドカーが、段々早い地点で抜い て行くことでわかる。ジワジワと迫ってきて嫌なものである。ついスピードが上がって しまうが、ここは、グッと我慢。(…実はサポータの大野氏に押さえられたのであるが、) ゴールまでまだ40〜50kmある。ここで無理をすると悲惨な目に合う。残念だが、マイ ペースを守ることにする。

 伊西峠を下り切ったところに第3CPがあり、ここで二人に追いつく。 がしかし、すぐに出発して行ってしまった。慌てたつもりはなかったが、以後のエイドでの休憩時間が短くなり、食欲不振も手伝って、碌に食べなかったのが祟り、とうとう血糖値が下がりダウンしてしまった。幸いすぐにチョコレートをもらい走りに復帰出来たが、その後遺症で、しばらくは生彩のない走りとなってしまった。しかし、ここからが、サポータの本領発揮で、目頭が熱くなる思いであった。

 エイドカーが自分を抜いて行く際、純平君が窓から体を乗出し「頑張れ!」と言って精一杯手を振ってくれる。また、エイドの大分手前まで和田さん親子が迎えに来て一緒に伴走してくれ、そしてエイドでは献身的なサポート。お陰で体調も徐々に上向いていった。残り10km手前のエイドでは、佐田さん(萩往還も完走しているハッスル女性高校講師。大会に来る列車の中で偶然隣の席になり同じ大阪からの参加と言うことで意気投合する。今回は、足の故障で止む無くリタイア。)が、激励してくれ、すっかり元気を取戻した。

 最後の3.4kmは、途中から自衛隊のジープの先導もあり、4:00/kmを切るペースで走り、ゴールでは、サポートカーのメンバーと手を繋ぎ全員で感動のゴールテープを切ることが出来た。 結果は、 “タイム 17時間41分21秒 6位” であった。 この飛騨ウルは、常連が多いが、その理由がゴールして漸く分かった。キツかったが出来たら来年も出場したいと考えている。 以上本当にどうも有難うございました。

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