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03びわこ畔一周マラニック・夜の雨

                            No.19    宿谷三雄

【それぞれの一周】

 昨年12月に大平馨さんと長井正俊さんの企画で、琵琶湖半周マラニックの練習会がおこなわれた。その時参加したのは呼びかけ人の2人と永田誠一さんと川村佳朗さんと私の5人で、同じく長浜城歴史博物館前がスタート地点であった。

 2月のこの時期は雪が降ってもおかしくない季節だ。なのに琵琶湖畔を一周するとは初めは信じられなかった。滋賀に住んでいるが、プレ大会を含むと今回で12回もおこなわれていたのは知らなかった。以前に徳川家康追跡マラソンで梅田さんに琵琶湖一周の話を聞かされた事があるが、そんな記憶が今頃蘇った。

 琵琶湖半周マラニックで大平さんより毎年開催月が違うがびわこ畔マラニックはおこなわれるとの情報を提供してもらい今日このスタートラインにいる。

 太平さんは大村湾一周、永田さんは大阪湾一周、そして私は琵琶湖を一周と時同じ日に別の場所でそれぞれの一周を楽しもうとしている。

【スタート前】

 1月の月間走行距離ジャスト100Kmにしかならなかった。月末には焦りが生じ思いついたように仕事の後走り脹脛を痛めたがまだ違和感が残っている。湿布を貼り付ける。風邪もひどくもならず直りもせずで、風邪薬を飲んで自宅から会場へ向かう。外の気温は0度である。

 会場でコースの地図とゼッケン、靴下を頂く。靴下には萩と書かれている。萩往還のものだ。受付横での暖かいコーヒーをいただきスタート前の準備をする。脹脛と風邪での悪寒を引っ掛け、復路萩 萩往還 とつまらない事を考えている。

 実はこのマラニックが終わた後でさくら道270Kmの後、萩往還250Kmにも出ようかどうかの結論を出そうと思っている。

【9時00分】

 30名弱の出場者が一斉に走り出す。ペースが速いように思われるので最後尾近くまで下がり様子をみることにした。スタートゴール付近はかってのアイアンマンのコースである。

 スタートしてまもなく、同じペースぐらいで走られる御年配の方に話しかけてみた。

途中離れる事もあったが、170Km近くまで結果的には一緒に走ることになった吉田穂積さんだ。ウルトラマラソンの経験は豊富であるが、びわこ畔マラニックは過去2回とも途中リタイアだそうだ。話を聞いていると走力レベルは同じぐらいだ。

【大崎観音からの竹生島と比良山】

 今回は積雪のため奥琵琶湖パークウェーイは通行出来ないので200Km余りから197km(197.7Km)に変更である。少し残念である。

 奥琵琶湖ドライブインで定食で腹ごしらえをすます。賤ケ岳を越える前に頂いたミカンで喉の渇きはない。山肌に描かれた丸子船を眺め海津大崎を目指す。今回はトンネル越えから一度浜辺に出て記念撮影がある。竹部島をバックと比良山をバックに吉田さんと一緒にカメラに納まる。もちろん自前のカメラも活用する。今回は走りに余裕があり最後の最後まで活躍してくれた。

【白髭神社からの伊吹山】

 今津浜では鮒寿司とお酒の話で盛り上がり、新旭ではそれぞれの家族の話やマラソンの話と話題は尽きる事がない。

 新旭風車村ででスタートからずーと前後して走る八重樫さん河野さんペア?と暫しの休憩にはいる。八重樫さんは他のランナーのようにバックは背負わずウエストバックのみである。実力があるのであれだけの軽装備でこの距離を走れるのだろう。

 萩の浜口 また萩である。琵琶湖半周練習会では流れ星に出会い。後から川村さんに教えてもらったがこぐま座流星群出現の日であった。そして今回は雨である。天気予報は午後からは傘マークであるからよくぞこの時間までもってくれものだ。

 白髭神社到着すると、見慣れた赤い鳥居の遥か先にある伊吹山が間近に感じられ対岸まで来たんだと言う実感がわく。食欲は旺盛になり甘い物と暖かい飲み物で身体の疲れを癒す。スタートから4箇所目の御好意のエイドである。原則的にはエイドはないと聞かされていたの感謝の気持ちで一杯である。

 白髭神社を超えると少し早い時間になるが夕食である。大衆食堂に吉田さんと入り焼肉とビールで40分余りの休憩を取る。

【夜の雨】

 白髭神社の近くの大衆食堂を出る頃には本降りの雨である。雨具とライトの準備を済ませ国道を南下する。

 近江舞子水泳場の入り口で出会った梅野さんとは、この後何度も抜きつ抜かれつで何度も出会う。ゴール前でも、猛スパートをかけて私を追いかけてきた人だ。

 近江舞子の松林は穴ぼこだらけでとても走れない。この時に帽子とライトと雨具フードの調整をしていて、雨具のフードを引っぱたところ破れてしまった。もう頭部はびしょ濡れである。渡された地図の中でも分かりづらいところで何箇所も写真が掲載されている。 今回は雨のケースも考えてかパスケースと共に地図が渡された。地図は進行方向が上になるような地図で、写真付きで、1Km毎と500m毎複雑なところは100m毎に印がしてある。

 琵琶湖タワーに到着すると、エイドで雨宿りして頭を乾かす。途中で帽子の下にビニール袋を敷いたので視界は確保出来るようになったが、雨具はどこかのコンビニで調達が必要だ。関門時間より早く到着したので、琵琶湖大橋をワープせずさらに南下することが許される。その琵琶湖大橋西詰の横断歩道を渡る時に下半身がやけに冷たい。そこに目をやると雨具が下も何時の間にか破れている。急いで渡るが見る見るうちに破れかぶれの哀れな姿である。コンビニで上下の雨具を確保した頃には冷たい雨が身体全体に凍みた。ただ救いはその後、コンビニから表に出た頃は土砂降りで道路は滝のように雨が流れる。一歩間違えればリタイアも有り得た夜の雨である。軍手は水を含み重いだけなので捨てる事にした。

【睡魔との闘い】

 唐崎神社に到着した頃は雨もだいぶ小降りとなった。気温は昼間は10度まで上がり、夜も極端に下がらない。が、雨で濡れた身体は寒さが堪えるので雨具は脱げない。喉の渇きを神社の水飲み場で潤う。

 近江大橋から瀬田の唐橋を通過する頃は、少しお腹の具合がおかしかったが、また食欲が出てきた。石山寺のエイドではお粥だけでは物足りず赤飯を少し頂く。先に到着されていた毛利さんはスタートからここまで何度もエイドで御一緒させてもらう。が、ここ石山寺を最後にゴールまで追いつく事は出来なかった。

 お腹も膨れて今度は琵琶湖畔東側を北上する。足や膝そして腰の痛みは定期的に襲ってきたが、百数十キロも走った今は痛みはなくどこまでも走れそうな気がする。が、新たな問題が当たり前だがやってきた。睡魔との闘いである。近江大橋東詰から琵琶湖大橋東詰まで16Km以上ある。周りには何もないところである。建物でもあれば庇に入り少しの時間眠りたい。雨で道路が濡れていなければ少し横になりたい。そんな思いだけが空回りする。時間だけが闇を駆け巡る。

 突然灯が微かに眠気眼の視線に入る。こんな深夜にはエイドも期待してはいけないが、ランナーを持つ人がいた。蛇行しながら歩くように走ってきたので随分時間を費やした。この時間帯は人と会話する事が一番の眠気覚ましかもしれない。風は雨に変わって主役の座にいる。歩くと身体に吹き付ける風に体温をも奪い取られる。

【近江富士と琵琶湖そして長命寺】

 琵琶湖大橋東詰への到着は、予定より大幅に遅れた。久し振りに現れたコンビニに躊躇なく飛び込む。コンビニの前には顔色が悪い大西さんが、リタイアされ始発のバスを待っていた。一言言葉をかけて北へ向かう。風は治まったが、小雨が降る。

 夏はにぎあうマイアミ浜のコンビニも店を閉めているのを見込んでか手前でエイドを出してくれている。近江八幡に向かい真横に見る三上山はいつも見慣れている山とは異なり、富士山のようにそびえ立っている。そして今回の大発見は長命寺に向かい琵琶湖畔を眺めていると対岸に入り組んだ部分が天橋立のように見える。

 昨夜の雨でホテル泊まりして琵琶湖大橋ワープと言う此枝さんが、軽快に追い越していくが、後戻りしてデジカメで撮影をしてくれた。今回のメンバーは関西周遊完走者の此枝さん、八重樫さん、若穂井さん、松倉さん、毛利さん、中道さん、長尾さんと言う豪華な顔ぶれである。あと2名関西周遊完走者の名簿が書かれてあったが、今回走られているのかは定かではない。

 長命寺到着で待ち受けるのは八百段にも及ぶ石段である。30分以上かけて石段を上り下りする。今は自動車で途中まで登って来られるのでつい楽をするが、一番下から登るとかなりハードだ。たっぷり汗をかいた後の長命寺のエイドはオアシスだった。芦田さんが魚の干物を焼いてくれる。そして缶ビールである。3匹の野良猫が魚のおこぼれをもらおうと近くにたむろしているのが妙に可笑しかった。

【再び長浜城へ】

 近江八幡休暇村からは、歩きが入った走りが多くなった。吉田さんは限界が超えた走りに一生懸命耐えている。ここまで来られたのだから、もう完走は間違いなしと励ます。

 能登川町水車橋西詰で、何度も離れては追いついてきた吉田さんもまったく走れない状態になったと言う。歩きが多くなっても時間内には完走出来そうなので先に行く事にした。 琵琶湖畔を道なりに走ればゴールが見えてくるはずだが、何を勘違いしたか在らぬ方向に走り最後の最後にミスもあったが大きなダメージもなく午後3時16分スタートゴール地点の長浜城歴史博物館前へたどり着く。30時間16分にも及ぶ長い旅は終わった。